高林寺は清末毛利家の菩提寺で、代々藩主やその一族、
重臣達の墓があります。
「高林寺山門」。
本堂などは安政2年に焼失してしまいましたが、
山門は天和2年(1682年)当時のまま残されています。
山門の前には「毛利元純公愛馬岩越の塚」があります。
本堂は新しく綺麗でした。
本堂の後ろには「清末毛利家墓所」があります。
1代から7代まで整然と並んでいました(2代は長府藩主となったので無い)。
あれ?8代藩主元純の墓が無い・・・。どうも違う場所にあるようです。
藩主達より一段下は側室達の墓。
さらに奥の山に元純の墓があるようです。
道脇には古い墓石が結構ありますが、
清末藩の重臣の墓かな?ちょっと資料が無いのでわかりません。
山道の先になんだか開けた場所が・・・。
どうもここらしいですね。
ありました。
「8代毛利元純の墓」と「9代当主毛利元忠の墓」です。
手前の新しいお墓は、元忠の3男で清末を愛した毛利美忠と、
その妻ミイのものだそうです。
他の親族の改葬も検討されているらしいです。
清末藩は、1万石の小藩です。
長州藩には、一門衆や支藩、有力な永代家老がたくさんいます。
その中で、孫藩にあたる清末藩藩主毛利元純が、
度々長州藩主毛利敬親の名代をつとめたという事は、
元純の能力あっての事かもしれませんね。
ちなみ白石正一郎の小倉屋は、清末藩の御用達でした。
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