18万6千石を誇った津山藩森家は、
5代藩主森衆利の乱心で改易。
後に西江原藩2万石で再興していますが、
※後に赤穂藩へ再転封。
新田を分地されていた一族の森長俊も、
連座して三日月藩へ移されています。
初代藩主森長俊は領地入りすると、
乃井野村を藩庁と定め、
藩庁陣屋と城下町を建設しました。
「三日月藩乃井野陣屋跡」。
三日月藩陣屋は乃井野陣屋と呼ばれており、
現在は表門他正面部が整備復元されて、
往時の雰囲気が伝えています。
「物見櫓」。
現存遺構。
物見櫓と長屋は廃藩置県後に小学校に移築。
公民館等にも利用されていたようですが、
平成15年に現位置に戻されました。
同時に長屋も戻されたようですが、
どの部分かわかりません。
「中御門(左)」、
「通用御門(右)」。
復元された陣屋門。
裏手は何もありませんが、
かつては御殿が建てられていたのでしょう。
「列祖神社」。
陣屋跡の西側にある神社。
森可成、森忠政、森長俊を祀る神社で、
江戸時代は江戸藩邸内にあったもの。
「広業館」。
境内に移築された藩校広業館の建屋。
廃藩置県後に小学校として利用され、
近年の小学校移転新築に伴い現在地に移築。
どの部分が藩校の部分かわかりませんが、
当時は1階建てだったと思われます。
「藩主庭園跡(築山)」。
列祖神社境内も陣屋敷地内だった場所で、
枯山水庭園の築山が残されています。
列祖神社のさらに上の日岡八幡神社へ。
「日岡八幡神社」。
古来は石清水八幡宮の荘園であったようで、
荘園の守護神として勧請されたという。
室町時代には守護赤松氏の崇敬庇護を受け、
江戸時代は森家の崇敬社となっています。
本殿は明暦2年(1656)に再建されたもの。
森家の統治は9代174年に及び、
安定した藩経営が為されていたようです。
因幡街道と出雲街道の宿場として栄え、
鳥取藩、松江藩の参勤にも使用されており、
城下は大変賑わっていたという。
幕末には陣屋南側三方里山に演武場を造成。
藩兵による軍事訓練を行っていますが、
2つの大藩に通じる宿場町ゆえに、
小藩ながら情報が得らたのでしょう。
新政府への恭順も速やかに行われており、
兵を派遣して賞典金2千両を賜っています。
■関連記事■
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宗家筋にあたる赤穂藩森家の居城跡。
・兵庫県佐用郡 常勝院/森俊滋墓所
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・兵庫県佐用郡 高蔵寺/森快温墓所
5代藩主森快温の墓所。