仙台藩は一国一城令の例外として、
青葉城(仙台城)の他に白石城を持ち、
更に21の要害と呼ばれる城がありました。
一国一城令ってのは結構雑で、
令制国なのか大名領国なのかも曖昧。
例外に1,2の支城を持つ藩もあり、
全てに平等なものではありません。
特に東北外様大藩に支城を持つ藩が多い。
それでも白石+21要害は多すぎ。
伊達政宗の政治力が大きかったのでしょう。
一応は要害ということになってますし。
「岩出山要害館下町絵図模写図」。
岩出山要害は政宗の居城だった岩出山城。
青葉城に正宗が藩庁を移すと、
四男伊達宗泰に与えられています。
一国一城令後は要害と名を改めていますが、
城時代と何ら変わらずであったという。
「史蹟 岩出山城址」碑。
現在の岩出山要害は城山公園となっており、
南側の山麓は高校と小学校になっています。
この跡碑は岩出山小学校の正門下にあり、
この碑のあたりが大手門でした。
同じく小学校正門下に2つの碑があります。
「春嶂大内先生頌徳碑(右奥)」、
「花淵信太郎翁の頌徳碑(左手前)」。
双方とも詳しくわかりませんが、
大内春嶂は藩校養賢堂で学んだ教育者で、
花淵信太郎は初代町長のようです。
東側より車で城山公園へ。
大雪でしたがSLのある広場へ。
女性武術家園部秀雄の顕彰碑があります。
「園部秀雄範士顕彰碑」。
仙台藩馬廻役日下陽三郎の六女たりたは、
明治19年に行われた撃剣興行に魅了され、
家族の反対を押し切り興行の一行に同行。
興行主佐竹鑑柳斎に薙刀術を学び、
稽古の末に直心影流薙刀術印可状を得て、
師の佐竹より秀雄の名を与えられました。
後に直心影流薙刀術宗家を継承。
第4回武徳祭大演武会には、
唯一の女性武術家として出場し、
剣豪であった渡辺昇に圧勝してます。
その後も連戦連勝を繰り返し、
生涯数百戦で敗れたのは2度。
大正15年に薙刀術範士の称号を授与され、
名実共に最強とうたわれました。
昭和36年、死去。
さらに歩いて本丸に登る。
「本丸跡」。
雪で何が何だかわかりません。
「伊達政宗公之像」。
金丸跡に建つ伊達政宗の像。
政宗は米沢から大崎に減移封となり、
それに先立って徳川家康が岩手沢に滞在。
縄張りを行った後で引き渡されました。
その際に岩出山に改称されています。
以後、政宗は12年間岩出山城を居城とし、
青葉城(仙台城)に移った後に、
岩出山伊達家の居館となりました。
岩出山伊達家は戊辰戦争に出陣。
新庄や秋田で戦功を挙げていますが、
仙台藩は敗れて岩出山伊達家は禄を失い、
北海道開拓を志願して当別に移住。
別当町の基礎を創り上げています。
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