長府報国隊の砲隊司令迫田為太郎の墓が、
下関市福江にあります。
下関市福江周辺。
地元の人以外知らないような山の墓地です。
「迫田為太郎源清治墓」。
迫田為太郎は福江村生まれの長府藩士。
長府報国隊に入隊しており、
小倉戦争では砲隊司令として活躍しますが、
戊辰戦争で北越軍会計主事として参戦し、
負傷して明治3年に戦病死しています。
北越戦争の戦死者の墓所は、
新潟県小千谷市の船岡山官軍墓地や、
上越市の金谷山官軍墓地にありますが、
負傷して帰還した後に死亡した場合、
官軍墓地に墓は建てられません。
迫田も上記の墓所に墓はありませんが、
桜山神社には墓碑が建てられています。
後ろは「迫田司馬源清明墓」となっており、
慶応2年に死亡した人物のようです。
没年から幕長戦争で戦死も考えられますが、
普通に死去しただけかも?
まだ調べられていません。
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