御油宿は東海道五十三次の35番目の宿場。
次の宿場である赤坂宿までは、
僅か2km程度の距離でした。
江戸時代には尻尾の短い猫の事を、
赤坂-御油間の距離の短さに例えて、
御油猫と呼んでいたという。
「御油の松並木」。
御油宿から赤坂宿まで間にある松並木で、
約600mの間に271本の松が並びます。
夏は旅人の日除けとなり、
冬は防寒の役目を持っていたとされますが、
東海道中膝栗毛ではキツネが出て来て、
弥次喜多を化かす話が語られます。
国指定天然記念物。
「御油宿跡」。
赤坂宿と近いだけに旅人の奪い合いが起こり、
必然的に飯盛女を多く抱えるようになって、
「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、
なんのよしみで江戸通い」
と謡われる程の賑わう事となりました。
しかし飯盛女達の待遇は非常に悪かったようで、
待遇を苦にして入水自殺した飯盛女の墓が、
近くの東林寺に建てられています。
「本陣鈴木半左衛門家跡」。
御油宿の本陣を務めた鈴木半左衛門の宅跡。
本陣は最盛期には4軒あったという。
※他3軒は林五郎太夫家、中村谷十郎家、
橘屋弥左衛門家。
脇本陣は無かったようです。
「歌川広重 東海道五十三次之内 御油」。
飯盛女が旅人を引きずり込もうとしています。
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