加賀藩家臣の最高位の人持組頭8家は、
いずれも万石以上の禄高を有しており、
他藩でいう永代家老家にあたります。
この8家は加賀八家と呼ばれており、
本多家、長家、横山家、前田土佐守家、
前田対馬守家、奥村宗家、奥村内膳家、
村井家と定められていました。
上記の8家のうち、
前田対馬守家以外の7家は、
野田山にあります。
※本多家は野田山墓地隣接の大乘寺墓地。
村井家墓所へ。
野田山墓地地図。
上側の空白の部分が前田家墓所。
村井家の墓所は赤枠の2ヶ所です。
まずは前田家墓所近くのA地点。
「村井又兵衛豊後守平長頼」。
初代当主村井長頼の墓。
藩祖前田利家の兄前田利久の頃より仕え、
戦場では何度も利家を救ったとされ、
利家の通称又左衛門から又の字を賜り、
又兵衛を名乗っています。
越前の戦いや金ヶ森城の戦いなど、
戦場で目覚ましい活躍を挙げた事から、
織田信長から南蛮傘を拝領。
その後も数々の戦で功績を挙げており、
加賀藩の基礎作りにも貢献しました。
利家正室の芳春院が江戸へ向かう際は、
既に隠居していた長頼も付き従っており、
そのまま江戸で63歳で死去。
その為か墓の位置は芳春院の墓の傍です。
村井家は初代長頼の長年の功績により、
1万6500石を拝領。
加賀八家のひとつとなりました。
A地点には2代村井長次の墓もあります。
次にB地点。
こちらが3~11代当主の墓。
「村井家墓所」。
駐車場から徒歩で下っていくと、
村井家墓所の石柱が建っています。
当主の墓は全て五輪塔。
幕末の当主は11代村井長在。
「篤巌寺殿直指長在大居士
瑞巌院殿長屑貞壽大姉」。
11代当主村井長在とその室の墓。
前田内蔵助家当主前田孝保の次男に生まれ、
10代村井長貞の養子として家督を相続。
鳥羽伏見の戦いに金沢から出陣しますが、
旧幕府軍の敗走を聞いて引き返しています。
維新後は藩の執政を務めており、
明治26年に死去しました。
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