橋本川に架かる萩バイパスの橋と、
橋本橋の間の土手に厳島神社の跡があります。
その手前を下ると正面に、
山縣有朋の誕生地がありました。
「元帥公爵山縣有朋誕生地」。
閑静な住宅街の一画にある巨大な石碑。
山縣有朋は中間山県有稔の長男として生まれ、
奇兵隊軍監となって頭角を表し頭角を現わし、
下関戦争や長州内訌戦で活躍、
戊辰戦争では長岡戦争などに参戦しています。
維新後は兵部大輔、陸軍大輔、陸軍卿、元帥と、
順調に進んで長州陸軍閥を形成しました。
また2度も内閣総理大臣を経験しており、
明治政府の中心的な存在であり続けました。
山縣には高杉晋作、大村益次郎、山田市之丞ら、
天才的な軍略があったわけではありません。
しかし組織を作り上げていく能力に長けており、
開闢総督の晋作が奇兵隊を離れ、
2代目、3代目と総督が変わっていく中、
ナンバー2の軍監としてこつこつと、
奇兵隊の組織づくりに勤めたのでしょう。
その経験が陸軍閥形成に役立ったのでしょう。
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