吉備津神社は備中国一宮。
備前国との国境吉備中山北西麓に位置し、
大吉備津彦命を祀っています。
この吉備中山の北東麓には、
備前国一宮の吉備津彦神社があり、
同じ山の東西に一宮が鎮座しますが、
これは吉備国が三分割された際、
吉備津神社より分霊されて、
吉備津彦神社となったからという。
※備後国一宮も吉備津神社で、
同じく備中国の吉備津神社より分霊。
参道は西国街道から始まり、
一の鳥居も街道沿いにありますが、
今回は駐車場のある山麓から行きました。
「北随神門」。
石段を上るとある北隋神門。
延文2年(1357)に建立されたもので、
丹塗りの美しい入母屋造桧皮葺の八脚門。
国指定重要文化財。
「授与場」。
北隋神門をくぐると急な石段。
その上には授与場の建物が建っており、
これを越えると拝殿が現れます。
「本殿及び拝殿」。
石段を上がるとすぐに拝殿前となる為、
正面からの写真は無理でした。
因みにこの本殿及び拝殿に限らず、
他の摂社も正面が撮影できるものは、
少数に限られています。
現在の本殿及び拝殿は、
室町幕府3代将軍足利義満の造営。
双方が1棟として国宝となりました。
主祭神の大吉備津彦命は孝霊天皇の子で、
四道将軍の一人として西道を平定。
その後は吉備中山の麓に茅葺宮を建立し、
そこに居住し281歳で死去し、
吉備中山の山頂に葬られています。
※墓所は中山茶臼山古墳。
吉備津神社は茅葺宮の跡地です。
「回廊」。
総延長398mの非常に長い回廊。
拝殿右側より伸びています。
この回廊途中に南随神門がありますが、
全体の撮影はできません。
御竈殿や本宮社等の摂社も回廊先にあり、
良い写真が撮影出来なかった為、
撮影は諦めました。
回廊を越えて神領会所跡へ。
「神領会所長屋門」。
3代将軍徳川家光交付の朱印状により、
門前町宮内が御朱印領となります。
この宮内を支配した会所の跡で、
神領役所と呼ばれていたという。
長屋門が現存しています。
神領役所より西に行くと門前町の宮内。
古い商家もある程度残されており、
門前町の雰囲気を残していました。
「藤井高尚旧邸」。
藤井家は吉備津神社の祠官の家で、
藤井高尚は祠官藤井高久の子。
幼き頃より国学や和歌を学び、
30歳頃に本居宣長に入門したようで、
門人の中で文章に最も秀でたという。
宣長死後は鈴屋学派の中心的存在となり、
200~300の門人を抱えていました。
高尚の頌徳碑が駐車場側にあります。
「藤井高尚大人頌徳碑」。
没後100年を記念して建てられた碑。
高尚は平安朝の古典文学研究に業績があり、
祭事の傍らで多くの著書を残し、
文章作法書、音楽、演劇論、和歌、神道等、
膨大な著作を残しています。
隣にある犬養毅の銅像。
「犬養木堂先生銅像」。
29代内閣総理大臣犬養毅の銅像。
犬養は吉備津神社南西の川入村出身で、
庭瀬藩の郷士の家柄であったという。
第1回衆議院議員総選挙で当選して以降、
42年間で18回連続当選しており、
文部大臣、逓信大臣等を経て、
戦前最後の政党内閣を組織していますが、
五・一五事件で暗殺されています。
最初の写真右側の社号標は犬養の書。
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門前町宮内に隣接する宿場町。
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