小繋宿は羽州街道の50番目の宿場町。
二ツ井町荷上場及び小繋周辺。
緑の線が街道筋で、
右の青でぼかした辺りが小繋宿。
左側の青でぼかした辺りが荷上場宿で、
両宿場は一里渡しで繋がれていました。
「舟着場跡」。
一里渡しの小繋側の舟着場跡。
河川工事により面影はありません。
中央奥の小高い山がきみまち阪。
一里渡しを使わない場合の陸路でしたが、
道なき道だったようです。
明治14年の明治天皇の東北巡幸の前年に、
山の先端の岩を切り通して道が作られ、
先行した皇后が明治天皇を待った事から、
きみまち阪と命名されました。
秋田戦争の激戦地でもあるようです。
「小繋宿跡」。
周辺の宿場跡同様に古い家々はありません。
吉田松陰は東北遊学の際に小繋に宿泊。
宿泊した場所は不明ですが、
同宿した青森帰りの加賀の船頭から、
「津軽海峡を通った西洋船が、
今年は3~4隻いた」と聞いています。
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