津梁院は寛永寺子院の天台宗寺院。
弘前藩3代藩主津軽信義により、
寛永13年(1636)に創建され、
厳有院の別当寺を勤めていたという。
※徳川家綱の霊廟。
「津梁院」。
常憲院霊廟建立の為の移転、
上野戦争での焼失後の移転再建、
東京大空襲での焼失後の移転再建と、
数度の移転を繰り返し、
昭和23年に現在地に再建されています。
津軽家の菩提寺でもあったようで、
谷中霊園の津軽家墓所の辺りは、
津梁院の墓地であったという。
門前にある津梁院墓地へ。
南側角に黒石藩津軽家の墓所があります。
「黒石藩津軽家墓所」。
手前2つには墓碑銘ありませんが、
歴代当主の合葬墓と、
正室及び側室や子女の合葬墓らしい。
弘前藩4代津軽信政の家督相続の際、
僅か9歳と幼少だった為、
叔父で旗本の津軽信英が後見人となり、
その成長まで藩政を担います。
信英は後見の際に5000石を分与され、
黒石領の領主となっており、
更に8代津軽親足が6000石を分与され、
※当時の所領は4000石でした。
1万石に達して黒石藩が成立。
廃藩置県まで4代続きました。
「文洸院殿馨橘天祥大居士
松操院殿貞實斐章大姉」。
黒石津軽家当主津軽類橘夫妻の墓。
4代藩主津軽承叙の長男で、
黒石津軽子爵家を継いだ人物。
明治44年に死去したようです。
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