島根県鹿足郡 津和野藩亀井家墓所③

つづき。
//③


徳祥院殿能州太守淨運了海大居士」。
7代藩主亀井矩貞の墓。
3代亀井茲親の次男菅沼定好の子に生まれ、
旗本亀井家に入って家督を継ぎましたが、
6代亀井茲胤が病に倒れた為に、
その養子となって家督を相続しました。
文人肌であったとされており、
文化の発展に尽力したようですが、
普請や災害等で財政難は継続。
彼は京都の伏見稲荷より勧請し、
太皷谷稲成神社を創建させています。


賢體院殿前隠州太守崇隆泰翁大居士」。
8代藩主亀井矩賢の墓。
7代矩貞の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
治世では天明の大飢饉が発生しており、
藩財政が困窮を極めた為、
目安箱を設置して改革を行っています。
藩校養老館を設置して藩士子弟を教育し、
更にはこれを庶民にも広げ、
学問の発展に貢献しました。


荘敬院殿前隅州大守義質道順大居士」。
9代藩主亀井茲尚の墓。
7代矩貞の五男として生まれ、
継嗣のない兄の8代矩賢の養子となり、
矩賢の隠居に伴い家督を相続します。
治世で幕府出向の天文学者堀田仁助が帰藩し、
藩に天球儀地球儀伊能図と共に、
関流数学を齎して藩校養老館は発展しました。


豊鶴院殿前能州太守翺翔玄空大居士」。
10代藩主亀井茲方の墓。
9代茲尚の三男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
内陸の藩ながら海防への関心があり、
武器奉行細工奉行を設置する等、
藩の備えを充実させています。
8年間の治世の後に病で隠居。
書画囲碁の得意な藩主であったという。


従二位勲三等亀井茲監墓」。
一番奥にある11代藩主亀井茲監の墓。
久留米藩9代有馬頼徳の六男に生まれ、
10代茲方の養子となり、
養父茲方の隠居に伴い家督を相続しました。
藩士の減俸、特産品の増産奨励など、
逼迫する財政の再建を行っており、
また江戸の下屋敷を売却するなどして、
藩士の教育資金に充てるなど、
名君であったと伝えられています。
第二次長州征伐には中立の立場を取り、
長州軍の領内通行を許しました。
津和野藩は新政府に多くの人材を送り出し、
自らも参与として新政府に出仕。
教育、宗教関係で手腕を発揮しています。
明治18年死去。


従三位勲四等伯爵亀井茲明之墓」。
亀井家13代当主亀井茲明の墓。
※津和野藩主の代では12代ですが、
 亀井家初代当主はその先代を数える為、
 13代当主となっています。

公家堤哲長の三男として生まれ、
明治4年に明治天皇給仕役を務め、
後に継嗣のない茲監の養子となります
先代の功績が認められて伯爵に陞爵し、
日清戦争では初の従軍カメラマンとして、
陸軍大将大山巌率いる第二軍に従軍。
300枚にもわたる戦場写真を撮影して、
明治天皇に献上しています。

■関連記事■
島根県鹿足郡 津和野城跡
 津和野藩亀井家の居城跡。
島根県鹿足郡 殿町通り
 津和野城下町は古い町並みが残る小京都。
島根県鹿足郡 太皷谷稲成神社
 日本五大稲荷のひとつ。