富永有隣はその晩年、
妹の嫁ぎ先宿井村の庄屋末岡家を頼り、
塾を開いて後進の指導に尽くしたという。
「富永有隣終焉之地(末岡邸跡)」。
庄屋末岡家の屋敷があった場所。
有隣の妹トミは末岡太兵衛の後妻となり、
これを頼って未岡家に世話になっています。
有隣はそこで私塾帰来塾を開き、
青年らを教えつつ晩年を過ごしました。
帰来塾とは「きらい」と読むようですが、
有隣らしいひねくれた塾名。
ここに国木田独歩が訪れたようです。
「富永有隣碑」。
未岡家邸跡に建つ有隣の顕彰碑。
昭和13年建立の立派な石碑ですが、
「侯爵毛利元昭書」という文字は、
意外に大きく目立つ気がします。
揮毫は箔のある人物が書く事により、
顕彰される人物を立派にみせるものですが、
毛利宗家当主毛利元昭なら申し分なし。
現在ならある程度知られていますが、
当時は無名の人物だったでしょうから、
大きく目立たせたのかもしれません。
「法學博士末岡精一碑」。
未岡家邸跡に建つもうひとつの碑で、
法學博士末岡精一の顕彰碑。
帝国大学(現東京大学)法科大学教授、
東京図書館(現国会図書館)館長を務め、
日本法律学校(現日本大学)創立に関わり、
東京専門学校(早稲田大学)講師も兼任。
法学、行政学の発展に貢献しますが、
明治27年に40歳で死去しています。
彼は末岡太兵衛に次男で、
※前妻の子。
有隣の義理の甥にあたりますが、
有隣が末岡家に厄介になった頃は、
既に東京で活躍していました。
とはいえ里帰りする事もあった筈で、
有隣とも会っているでしょう。
少し位は教えも受けたかもですね。
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近隣にある富永有隣の墓所。
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松下村塾が境内に現存。