山口県萩市 紹孝寺/益田家墓所

益田家墓所須佐湾を臨む高台にありますが、
25~26代当主の墓所は、
須佐市街の紹孝寺に建立されています。


紹孝寺」。
建仁年間(1201-1204)に創建された寺院で、
始めは延命寺を称した天台宗の道場でした。
その後の天正年間(1573-1592)には、
禅宗の寺に改宗されて長福寺と称し、
慶長16年(1611)に宗円寺となったのを経て、
元禄年間(1688-1704)に紹孝寺に改称。
昭和6年に山門を残して全焼しており、
昭和10年に再建されています。
残っていた山門も昭和26年に、
台風の影響で流失してしまったようで、
現在の山門はその後の再建。

益田家の墓所は本堂の裏手。

益田家墓所」。
25代当主益田就恒の家族と、
26代当主益田就賢の家族の墓所。
就恒は紹孝寺に帰依していたと思われ、
彼の家族の墓が揃っています。
その養子である就賢もこれに倣い、
自らと家族の墓所としました。


江雲院殿越州前史全峯紹孝大居士塔(左)」、
青淨院殿玉峯琳秀大姉之塔(右)」
25代当主益田就恒の墓とその正室の墓。
21代当主益田元尭の五男に生まれ、
福原家14代福原元俊の養子となります。
就恒の五男益田久之丞が益田家当主となり、
その後見となっていましたが、
久之丞は僅か8歳で病死してしまい、
福原家を廃嫡して実家の益田家を相続。
9年の当主在任の後に死去しました。


恭寛院前鴻臚心源全徹大居士塔(右)」、
無量院殿繁誉壽昌大姉之塔(左)」。
26代当主益田就賢の墓とその継室の墓。
分家の寄組士益田就武の三男として生まれ、
嫡子なき25代就恒の養子となります。
養父就恒の死去に伴い家督を相続し、
17年の在任で病を理由に隠居。
23年の隠居暮らしの後に死去しました。

この墓地には郷校育英館4代館長及び、
5代館長の墓もあるようです。

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