島根県浜田市 安国寺/伝御神本三代の墓

安国寺は浜田市にある臨済宗の寺院。
和銅年間(709-715)に福園寺として創建し、
永久年間(1113-18)に天台宗寺院として再興。
その後に火災等で荒廃しましたが、
益田兼長の未亡人である阿忍が、
※兼長は益田家6代益田兼時の長子ですが、
 早逝して当主にはなっていません。

臨済宗の寺として再興しており、
三隅兼信の菩提を弔ったとされます。
貞和4年(1348)には石見国安国寺に設定され、
安国福園禅寺と称しましたが、
後に火災で焼失したようで、
寺伝、由緒の詳細は不明とのこと。


本堂」。
立派な本堂は昭和60年に改修されたもの。
本堂の建立時期は不明ですが、
文政6年(1823)改修の記録があるという。

裏山に益田家の祖の墓と伝わる墓があります。

伝 御神本三代の墓」。
須佐益田家初代当主御神本国兼
2代当主御神本兼実
3代当主御神本兼栄の墓。
初代国兼は藤原忠平の子孫とされ、
石見国司として赴任しており、
御神本姓を名乗ったとされます。
2代兼実と3代兼栄も国司を務め、
4代御神本兼高益田に本拠を移し、
益田姓に改姓しました。
以後は山陰の有力豪族として重きを成し、
南北朝時代では北朝方として戦い、
戦国時代大内家尼子家に従い、
後に毛利家の家臣となっています。

禁門の変の責で33代益田親施が切腹し、
一時益田家は断絶の憂き目となりますが、
吉敷毛利家より益田親祥が繋ぎで当主となり、
程なく親施の遺児精次郎が家督を相続。
その際に益田姓を名乗るのが憚られた為、
先祖の称した御神本姓を名乗っています。
※明治元年に益田姓に復帰。

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