島根県益田市 萬福寺/益田兼見墓所

萬福寺には旧益田領主益田兼見の墓もあり、
傍らには説明板も建てられています。


益田兼見の墓」。
益田兼見は益田家11代当主で、
知勇兼備の武将であったという。
南北朝の争乱では、
足利尊氏方の上野頼兼を助け、
北朝勢として石見の各地を転戦しました。
尊氏の子足利直冬が南朝に帰順すると、
兼見も南朝に転じていますが、
直冬の死後に大内弘世が北朝方に下ると、
弘世に従って北朝方として戦っています。
大きな五輪塔が兼見のもので、
小さい方は兼見の父益田兼方の墓とのこと。

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