大薀寺は須佐益田家の菩提寺。
須佐に入封した20代当主益田元祥は、
父の益田藤兼の菩提を弔う為に、
弥富村にあった妙悟寺を移転し、
現在地に大薀寺を建立しました。
以降は須佐益田家の菩提寺となり、
初代から33代までの位牌が安置され、
現在に至っています。
「山門」。
立派な山門の左右には木造仁王像。
益田家の家紋九枚笹があしらわれている他、
菊の意匠が施されています。
33代益田親施が禁門の変の責で自刃し、
その遺体は後に須佐に送られていますが、
葬儀の為に大薀寺に運ばれる際に、
領主とはいえ朝敵となった親施が、
菊の意匠のある門を通る事が憚られ、
突貫で別の門を造って運び込んだとのこと。
「本堂」。
今回訪問した理由ですが、
大野毛利家初代毛利就頼の墓が、
この大薀寺にあるという情報から。
益田家の菩提寺であるこの寺に、
何ら関わりの無い就頼の墓が、
本当にあるのか確かめる為です。
住職のお母さん(?)が対応してくれて、
色々とお話を聞きました。
その件について問い合わせがあるらしく、
対応に困っているとのこと。
お寺としても聞いた事の無い話で、
どうもガセネタであるようです。
わざわざ来てくれたのに申し訳ないと、
気さくなお母さんが言ってましたが、
いえいえガセネタと判っただけで収穫。
更に美しい庭園を見れた事や、
益田家の位牌を拝見出来たので、
とっても良かったです。
「大薀寺庭園」。
雪舟風の日本庭園。
益田家の旧領益田には雪舟庭園が多く、
彼の墓所も益田にあります。
※諸説あり。
大薀寺が雪舟の死後100年後の創建で、
雪舟が造れる筈はありませんが、
その美しさは雪舟のものと同等か。
日本庭園に詳しい訳ではありませんが、
良いものを感じるのに知識はいりません。
また松竹梅がまとまった1本の木があり、
これも必見です。
「益田家位牌」。
右から、
顕忠院殿貞良全幹大居士 覺霊、
前越州太守大蘊全鼎大居士、
桃林院殿全紹圀大居士 覺霊、
高正院殿大義全明大居士 覺霊。
32代当主益田元宣の位牌、
19代当主益田藤兼の位牌、
20代当主益田元祥の位牌、
33代当主益田親施の位牌。
他の代は元宣の位牌の後ろの箱の中。
他にも分家の位牌も安置されています。
毛利就頼の件はガセのようですが、
ひとつ気になる事が・・。
庭園の最奥に五輪塔があり、
これについてはわからないとのこと。
まさかとは思いますが、
これが就頼の墓だったりして。
普通に考えて19代藤兼の供養塔か、
それ以前の累代供養塔でしょうが、
わからないだけにモヤモヤです。
■関連記事■
・山口県萩市 益田家墓所①
須佐にある益田家代々の墓所。
・山口県長門市 大寧寺墓地/益田家墓所
大寧寺にある益田家の分骨墓。
・島根県益田市 萬福寺/益田兼見墓所
萬福寺にある10、11代当主の墓。
・島根県益田市 益田兼堯墓所
七尾城北嶺にある15代当主の墓。
・島根県益田市 医光寺(再訪)
医光寺にある17代当主の墓。
・島根県益田市 妙義寺(再訪)
妙義寺にある19代当主の墓。