島津久敬は今和泉島津家出身で、
徳川家定御台所の天璋院(篤姫)は同母妹。
永吉島津家12代島津久陽の養子となりますが、
程なく養母と密通していた事が発覚した為、
廃嫡されて終身幽閉の処分を受けました。
久敬は慶応4年に死去した事にされ、
永吉の隠居屋敷で密かに暮らしたとのこと。
その久敬の墓が永吉小学校の北東の山に、
ひっそりと残っています。
「九良野家墓所」。
島津姓は当主家しか名乗れなかったようで、
分家は九良賀野や九良野を名乗ったとか。
「山遊心安彦命」。
永吉島津家13代当主島津久敬の墓。
密通という不名誉を犯した久敬は、
対外的に死んだ事にされたようで、
当主家墓地に墓が建てられたのでしょう。
墓碑は明治11年1月14日卒となっており、
死んだ事になってから10年間も、
密かに暮らしていたようです。
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・鹿児島県日置市 永吉島津家墓所
久敬の墓も建てられています。
・宮崎県宮崎市 島津家久及び島津豊久墓所
佐土原にある初代及び2代当主の墓所。
・鹿児島県日置市 島津家久墓所
初代当主の墓所。