鹿児島県日置市 日置島津家墓所②

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つづき。


九代島津久甫墓」。
9代当主島津久甫の墓。
8代島津久林の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
薩摩国市来出水の地頭を務めた他、
勝手方家老に任命されていますが、
僅か6年の当主在任で病死しています。


十代島津久暢墓」。
10代当主島津久暢の墓。
9代久甫の次男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
24年の当主在任の後に隠居し、
更に24年の隠居生活を送っています。


十一代島津久陳墓」。
11代当主島津久陳の墓。
10代久暢の次男として生まれ、
兄の島津貴品垂水島津家を継いだ為、
嫡子となって父の隠居後に家督を相続。


十二代島津久陳墓」。
12代当主島津久風の墓。
11代久陳の子で父の隠居で家督相続し、
伊集院加世田、出水の地頭を務め、
10代藩主島津斉興の寵愛を受けたという。
モリソン号事件では砲撃を命じており、
撃退してマカオへ退去させています。


武霊久徴高明命
 眞善華久美姫命
」。
13代当主島津久徴とその室の墓。
12代久風の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
藩主相続問題では島津斉彬を推し、
その藩主就任に奔走しました、
斉彬の藩主就任後は主席家老を務め、
藩政改革に貢献していますが、
斉彬の死後は罷免。
薩英戦争では総大将を務めており、
英国軍と互角に渡り合っています。

以下は明治期の当主。

正四位勲六等男爵島津久明墓
         室島津久墓
」。
14代当主島津久明とその室の墓。


正四位男爵島津繁麿墓
      室島津福墓
」。
15代当主島津繁麿とその室の墓。


第十六代島津久欣墓」。
16代当主島津久欣の墓。

訪問時は雨だった為か、
非常に幻想的な写真が撮れました。

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