南洲墓地にある岩元平八郎の墓。
「岩元恒成墓」。
一番砲隊半隊長岩元平八郎の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
城下士岩元清蔵の子で、
戊辰戦争では砲隊分隊長として従軍し、
後に陸軍砲隊大尉に任じられましたが、
明治6年の西郷隆盛下野に伴い辞職。
西南戦争では一番砲隊の隊長となりますが、
吉次峠の戦いで左手を負傷しています。
次いで二番砲隊に配置換えされると、
熊本城攻撃に加わりこれを砲撃。
以後は各地を転戦して鹿児島に戻り、
城山を占拠して籠城した後、
西郷の死を見届けてからも戦い、
岩崎口に突撃して戦死しました。
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