東京都豊島区 本妙寺/関宿藩久世家墓所

本妙寺は巣鴨にある法華宗の寺院。
元亀2年(1572)に智存院日慶が開山し、
徳川家譜代の久世広宣大久保忠勝
大久保康忠阿倍忠政らにより、
菩提寺として創建されたようです。


本堂」。
本堂空襲により焼失したようで、
現在の本堂はそれ以降に再建されたもの。
本妙寺は数度の移転を行っており、
江戸期の殆どは本郷丸山にありましたが、
明治41~44年の間に巣鴨に移転しました。


久世家墓所」。
山門の右側にある久世家の墓所。
久世家は三河国の国人小野高広の子高長が、
母方の姓を称して久世高長を名乗った家で、
久世長宣三河一向一揆松平家に背き、
宗門側に組して討死していますが、
子の久世広宣が元服後に徳川家康に許され、
大須賀康高の配下に組み込まれています。
そこで与力として戦功を挙げた広宣は、
後に直参旗本に取り立てられており、
次代久世広当は弟の久世広之に500石を分与。
宗家広当の系譜は旗本として続きますが、
弟広之は3代将軍徳川家光小姓を務め、
加増を重ねて大名となりました。


妙法蓮華経自證院殿日悟大居士(右)」、
妙法蓮華経勝詮院殿日禅靈儀(左)」。
関宿藩久世家初代藩主久世広之の墓と、
広之の正室の墓(たぶん)。
久世広宣の三男に生まれ、
3代将軍徳川家光の小姓を務め、
兄の久世広当に500石を分知されます。
小姓組番頭に昇進して5000石に加増され、
更に5000石の加増を受けて大名となり、
4代将軍徳川家綱御側衆に抜擢。
後に5000石加増されており、
若年寄に昇進後も5000石を加増され、
更に2万石、1万石と繰り返し、
最終的に関宿5万石を得ています。


眞如院殿消残露月日成大居士(右)」、
圓就院殿妙頓日詣大姉(左)」。
2代藩主久世重之の墓と、
重之正室圓就院の墓。
初代広之の三男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
藩主就任以来転封を重ねており、
庭瀬藩丹波亀山藩三河吉田藩と変わり
最終的に関宿藩に戻っています。
幕政では寺社奉行若年寄老中と出世。
1万石の加増も受けました。


實相院殿教海常照日住大居士」。
3代藩主主久世暉之の墓。
2代重之の四男として生まれ、
兄らの早逝によって継嗣となり、
父の死去に伴い家督を相続しました。
治世では大規模洪水が発生しており、
大きな被害を受けています。
28年に治世の後に隠居し、
その翌年に死去しました。


常霊院殿汰月照門日明大居士(右)」、
高證院殿妙觀日具大姉(中央)」、
隆光院殿昌徳榮顯日統大居士(左)」。
4代藩主久世広明の墓、
広明の正室高證院の墓、
5代藩主久世広誉の墓。
4代広明は大身旗本久世広武の長男で、
3代暉之の養子となって家督を相続。
寺社奉行、京都所司代を務めた後、
老中に昇進していますが、
その在任中に死去しています。
5代広誉は4代広明の長男で、
父の死去に伴い家督を相続。
32年に治世の後に隠居しました。


梅巖院殿妙陽日行大姉(左)」。
観理院殿恵光照岳日圍大居士(中央)」、
蓮昌院殿妙乗日馨大姉(右)」。
5代広誉の正室梅巖院の墓、
5代世子久世綏之の墓、
綏之の正室蓮昌院の墓。
6代綏之は5代広誉の長男でしたが、
病弱を理由に廃嫡となっています。
その割に廃嫡後26年も生きました。


泰領院殿法山英意日紹大居士(右)」、
貞恭院殿妙英日祐大姉(左)」。
6代藩主久世広運の墓と、
広運の正室貞恭院の墓。
5代広誉の長男綏之の子に生まれ、
父が廃嫡された為に嫡孫となり、
祖父の隠居に伴い家督を相続。
13年の治世では藩校教倫館を設立し、
藩士子弟に学問を推奨しています。


自譲院殿儉徳忠山日秀大居士(右)」、
秘妙院殿淨三日昌大姉(左)」。
7代藩主久世広周の墓と、
広周の正室秘妙院の墓。
旗本大草高好の次男として生まれ、
6代広運の死去で末期養子となり、
その家督を相続しました。
老中に昇進にして幕末の難局にあたり、
阿部正弘らと諸外国の圧力に対応しますが、
安政の大獄での井伊直弼の方針に反対し、
老中を罷免されています。
万延元年に安藤信正の推挙で老中を再任。
公武合体政策を推進していますが、
坂下門外の変後に安藤が罷免されると、
これに連座して失脚しました。
元治元年に46歳で死去。

8代以降の墓は谷中霊園にあります。

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 8代以降の藩主の墓。




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