出島のカピタン(蘭国商館長)は、
定期的に江戸へ参府し、
日蘭貿易の御礼を行っていました。
その行程は約90日も掛かる旅で、
宿泊には各宿場の本陣等が使用されますが、
通常は一泊のみの慌ただしいもので、
大名の参勤交代に準じたものだったという。
但し江戸、京都、大坂、下関、小倉では、
数日間の宿泊が許されていたとされ、
その定宿は阿蘭陀宿と呼ばれました。
カピタンの宿泊する阿蘭陀宿には、
多くの蘭学者達が訪問するようになり、
貴重な諸外国の情報や技術が、
これによってもたらされたようです。
今回訪問したのは小倉での定宿大阪屋跡。
「大坂屋跡」。
大坂屋宮崎家のあった場所。
常盤橋の東詰正面にあったようですが、
碑も案内板もありません。
大坂屋は350坪の広大な敷地を持ち、
酒造業を営んでいたようで、
その店先は[東勢溜]という広場があって、
カピタン宿泊時は見物人で溢れたという。
彼らは数日の滞在が許されていましたが、
全て自由時間だった訳ではなく、
出島の留守役に手紙を出し、
道中の経過を報告する事が義務付けられ、
小倉藩の挨拶の使者への対応等もあり、
意外と忙しかったようです。
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