赤間関宿には本陣が2つ定められ、
それぞれが西の本陣(佐甲家)、
東の本陣(伊東家)と呼ばれていました。
「本陣佐甲邸跡」。
西の本陣佐甲家の屋敷跡。
残念ながら跡地はマンションとなっており、
跡碑さえ設置されていません。
他の宿場町の本陣、脇本陣などの様に、
格式に違いがあるわけではなく、
東の本陣伊藤家と同格であったようです。
この佐甲家の歴代当主も蘭癖だったようで、
江戸参府で立ち寄った出島のカピタン達を、
大歓迎で迎えていたという。
※記事はこちら。
四国連合艦隊との講和が成立した後には、
首脳陣を招いて晩餐会も行われたようで、
勿論九州の諸大名や薩摩藩国主島津久光、
シーボルトなども宿泊した記録が残り、
維新後の「外人接待所」にも指定され、
歴史的に重要な場所となっていますが、
碑のひとつも無いとは嘆かわしい限りです。
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