京都府京都市 妙恵会総墓所/金子健四郎墓所

妙恵会総墓所にある剣客金子健四郎の墓。


健四郎金子君墓(左)」、
正六位勲六等金子徳輝之墓(右)」。
神道無念流剣客金子健四郎の墓と、
その縁者金子徳輝の墓。
天保11年(1840)に水戸藩に召し抱えられ、
水戸城下で道場を開いていましたが、
安政3年に南画家福田半香宅を訪問した際、
先客の書家生方鼎斎と口論となり、
師が恥を掻かされたと門人が生方を殺害。
この責で水戸藩を退去したとされ、
京都で元治元年に死去しました。
藤田小四郎筑波山挙兵に駆けつけたとも、
腹部の腫れものを自分で取ろうとした際、
失敗して死亡したともされます。
伊東甲子太郎は水戸に遊学した際、
金子に神道無念流剣術を学んでおり、
また金子は渡辺崋山に書画を学んでおり、
四君子図を得意としていました。

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