カピタンの江戸参府の途上、
京都に滞在する際の阿蘭陀宿海老屋。
京都所司代や町奉行所へ書類を提出し、
大坂で宿泊した阿蘭陀宿長崎屋や、
次の宿泊先の蹴上宿の弓屋への挨拶等、
宿泊者の世話の他にも、
阿蘭陀宿としての仕事を行っていました。
「立誠ガーデンヒューリック 京都」。
現在の海老屋村上家跡はホテル兼商業施設。
平成5年まで立誠小学校だった場所で、
ロマネスク様式の校舎が保全され、
このように利用されています。
江戸や大坂では役人の目が厳しく、
一行は行いを謹んでいましたが、
京都では監視が緩かった事から、
薄着姿でウロウロしていたようで、
海老屋の主人も迷惑していたという。
但し海老屋は阿蘭陀宿として、
長崎会所や阿蘭陀商館より資金を得ており、
更に一行から薬品も仕入れて売薬も行い、
非常に優遇を受けていたと思われます。
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