若狭姫神社は若狭一宮若狭彦神社の下社。
上社である若狭彦神社と一対であり、
総称として両社を若狭彦神社と呼び、
両社併せて若狭一宮とすることもあれば、
若狭彦神社が若狭一宮で、
若狭姫神社が若狭二宮ともされています。
祭事の殆どは若狭姫神社で行われ、
神職は若狭姫神社に常駐しているとのこと。
「ニノ鳥居」。
県道35号線沿いにあるニノ鳥居。
東側に真っ直ぐ参道が伸びており、
その先に一ノ鳥居もありますが、
駐車スペースの関係でここから参拝。
「随神門」。
寛保3年(1743)建立の随神門。
入母屋造平入、桧皮葺の八脚門で、
左右各4軀の随神像が置かれています。
「本殿」。
享和2年(1802)再建の本殿。
透塀内左側には千年杉(樹齢約500年)が聳え、
千古の神域の雰囲気を醸し出しています。
祭神豊玉姫命は彦火火出見尊の妻。
彦火火出見尊は山幸彦として知られており、
彼は兄海幸彦の釣針を無くしてしまった為、
兄を激怒させてしまい海神の宮に至ります。
そこで海神の娘である豊玉姫命と出会い、
姫の尽力で海神の力を借り釣針を発見。
しかし海神は釣針を山幸彦に戻さず、
豊玉姫命を娶らせ海に留めました。
そして3年の月日が経ち、
釣針を貰い故郷へ戻る事となりますが、
姫は妊娠している事を山幸彦に告げ、
産屋を建てて待っているよう告げます。
帰還した山幸彦は兄に釣針を返し、
後に攻めてきた兄を撃退。
豊玉姫命は陸に上がり産屋に籠り、
山幸彦に絶対覗かないよう告げました。
しかしこの忠告を破り山幸彦が覗くと、
そこには和邇(ワニ)となった姫の姿があり、
山幸彦はこれ見て恐れて逃亡。
豊玉姫命は本来の姿を見られた事を恥じ、
生まれた子を置いて海へ帰りました。
その子が鸕鶿草葺不合尊で、
初代天皇天智天皇の父となります。
豊玉姫命は海神の娘である為、
海上安全、海幸大漁の守護神となっており、
恋と安産を授ける神様として、
女性達に人気があるようです。
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・福井県敦賀市 氣比神宮
越前国一宮。
・千葉県長生郡 玉前神社
上総国一宮。
・福岡県福岡市 志賀海神社
海神社の総本社。