若狭彦神社は若狭国一宮。
下社の若狭姫神社と一対の神社で、
若狭彦神社は上社となっています。
祭神は彦火火出見尊(山幸彦)で、
若狭姫神社の祭神は豊玉姫命であり、
双方は夫婦の神でした。
「一ノ鳥居」。
若狭国一宮ながら鳥居はひとつのみ。
これは下記する二本杉と関係しています。
「ニノ鳥居(二本の大杉)」。
参道の挟んで聳え立つ二本の大杉は、
若狭彦神社のニノ鳥居とされるとのこと。
「禊の神橋(手前)」、
「夫婦杉(中央左側)」、
「随神門(奥)」。
禊の神橋を過ぎれば神域です。
左側には夫婦杉が聳えており、
その先にある随神門は江戸後期の建立。
「本殿」。
文化10年(1813)再建の本殿。
祭神の彦火火出見尊は山幸彦として知られ、
天孫降臨の瓊瓊杵尊の第三子とされます。
※第一子は火照命(海幸彦)、
第二子は火須勢理命(事績不明)。
兄海幸彦の釣針を無くしてしまった為、
兄を激怒させてしまい海神の宮に至ります。
そこで海神の娘である豊玉姫命と出会い、
姫の尽力で海神の力を借り釣針を発見。
しかし海神は釣針を山幸彦に戻さず、
豊玉姫命を娶らせ海に留めました。
そして3年の月日が経ち、
釣針を貰い故郷へ戻る事となりますが、
姫は妊娠している事を山幸彦に告げ、
産屋を建てて待っているよう告げます。
帰還した山幸彦は兄に釣針を返し、
後に攻めてきた兄を撃退。
豊玉姫命は陸に上がり産屋に籠り、
山幸彦に絶対覗かないよう告げました。
しかしこの忠告を破り山幸彦が覗くと、
そこには和邇(ワニ)となった姫の姿があり、
山幸彦はこれ見て恐れて逃亡。
豊玉姫命は本来の姿を見られた事を恥じ、
生まれた子を置いて海へ帰りました。
その後久しくして山幸彦は崩御し、
豊玉姫命との子鸕鶿草葺不合尊の子が、
後の天智天皇となっています。
若狭彦神社は海上安全、大漁の御利益があり、
漁業や海運業関係者に信仰され、
また畳や敷物の神でもある為、
インテリア関係者も参拝に来るようです。
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越前国一宮。
・千葉県長生郡 玉前神社
上総国一宮。
・福岡県福岡市 志賀海神社
海神社の総本社。