鳥取県倉吉市 大蓮寺/淀屋清兵衛墓所

大蓮寺は玉川通りにある浄土宗寺院。
養老年間(717-723)に創建されたとされ、
天正年間(1573-1592)に近郊の3寺を統合し、
現在地に移転したようです。


大蓮寺」。
山門の建築年は不明ですが、
江戸期のもののようです。
本堂は昭和30年に再建されたもので
鉄筋コンクリート造のモダンなもの。


脇屋義助之墓」。
本堂前にある脇屋義助の墓。
脇屋義助は新田義貞の弟で、
兄と共に鎌倉幕府と戦った人物。
後に南朝軍の大将のひとりとなり、
中国及び四国方面で活躍しました。


大坂淀屋清兵衛」。
大坂淀屋清兵衛家の供養塔。
淀屋は初代岡本三郎右衛門常安が、
大坂で材木商を営んだ事から始まり、
2代岡本言當米市場を設置し、
巨万の富を得て繁栄を極めた豪商。
総資産は約20億両ともされており、
この膨れ上がった財力を幕府に睨まれて、
5代岡本廣當闕所処分となり、
ぞの財産を全て没収されました。
この処分を予見していた4代岡本重當は、
番頭の牧田仁右衛門に暖簾分けし、
幕府の手の届かない倉吉で淀屋を開かせ、
大坂での淀屋再建を厳命。
仁右衛門は倉吉での商売を成功させ、
後に3代仁右衛門の四男が大阪に出て、
淀屋清兵衛を名乗って木綿商を始め、
幕末まで大阪で商売を続けたとのこと。


淀屋牧田家一族の墓所」。
倉吉で淀屋を営んだ牧田家一族の墓所。
倉吉淀屋は米を中心に扱いますが、
地元の産物を手広く扱っていたとされ、
更に「倉吉稲扱ぎ千刃」も開発し、
これを全国に広めたとのこと。
墓域を見るにその発展の程が伺えます。
大坂と倉吉の淀屋は協力し、
以後も両家共に栄えましたが、
安政6年に突如両家共に閉店して、
資金を朝廷に献上したという。
それでも明治初期まで財産を有し、
鳥取藩や倉吉領主荒尾志摩家から、
献金を求められたとされていますが、
倉吉淀屋の記録や資料は残っておらず、
その詳細は明らかではありません。

著名な豪商

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