高野山奥の院墓地/豊臣秀頼 淀殿墓所

奥の院墓地にある豊臣秀頼淀殿の供養塔。
米沢藩上杉家墓所の近くにあります。


嵩陽院殿秀山大居士尊儀(左)」、
大虞院殿英岩大禅定尼尊儀(右)」、
豊臣秀頼と淀殿の五輪塔。
徳川家康の命により建立されたようで、
大きく欠損していたようですが、
令和5年に修復されています。
淀殿は浅野三姉妹の長女で豊臣秀吉の側室。
正室高台院に次ぐ権勢を得ていたようで、
醍醐の花見の際は京極家出身の松丸殿と、
杯の順番を争ったとも伝えられます。
天下の趨勢が家康へと移行した後も、
徳川家に屈服する事を嫌って対抗。
秀頼と共に大坂城に立て籠って戦い、
大坂夏の陣で秀頼と共に自刃しました。
秀頼は2m近い身長と160kgの体重の巨漢で、
二条城で初対面した家康は、
その存在を危険視したとされます。
夏の陣前に秀頼が城外巡視した際には、
大坂方の士気は大いに上がったとされ、
実戦で馬に跨る偉丈夫の秀頼が出陣すれば、
その戦力は高まったであろうとされます。
しかし再三の出馬要請にも関わらず、
大野治長や淀殿の反対で出馬を断念し、
彼らと共に自刃して果てています。

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