奥の院墓地にある本多忠勝の墓所。
忠勝は「徳川四天王」のひとりであり、
13歳の初陣から死去するまでの約50年間で、
57回の戦でかすり傷ひとつ受けたことがなく、
名槍「蜻蛉切」を自在に振り回して戦い、
豊臣秀吉に「東国無双」と称されました。
「西岸寺殿前中書長譽良信居士(右)」、
「見性院殿蓮譽光信大姉(左)」。
本多忠勝の墓とその夫人於久の方の墓。
本多家は一向宗の門徒だったようで、
永禄6年(1563)に起こった三河一向一揆では、
親類の大半が一揆勢に加担しますが、
忠勝は信仰より忠節を優先して、
松平元康(徳川家康)と同宗の浄土宗に改宗。
一揆勢と戦い戦功を挙げています。
以降も姉川の戦い、一言坂の戦い、
長篠の戦い、高天神城の戦い、
小牧長久手の戦い、小田原征伐等、
家康の主要な合戦で戦功を挙げました。
関ケ原の戦いでは島津義弘を追撃し、
島津の「棄てがまり」で何度も馬を失うも、
その度に乗り継いで戦ったという。
晩年は眼病に苦しみながらも、
幕政や藩政の基礎作りに貢献し、
慶長15年(1610)に桑名で死去しています。
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弘法大師の御廟参道にある巨大な墓地。
