奥の院墓地にある八戸藩南部家の墓所。
盛岡藩2代南部重直が継嗣なく死去した為、
幕府の裁定により10万石の所領は、
五弟の南部重信に8万石、
七男の南部直房に2万石に分けられます。
これにより直房は八戸藩を立藩しており、
江戸時代を通じて八戸を治めました。
大きな五輪塔がL字に4基並んでいます。
標柱は「奥州 南部家墓所」となっており、
盛岡藩の墓所かと勘違いしそうです。
参道側から、
「惇徳院殿前左金吾挍尉仁峯榮大居士」、
「天祥院殿前遠刕大守月潤宗眞大居士」、
「清涼院殿前金吾天性自性自心大居士
霊松院殿法雲宗珠 逆修」、
「仙壽院殿松嶺妙閑尼大姉」。
8代藩主南部信眞の墓、
2代藩主南部直政の墓、
初代藩主南部直房と側室霊松院の墓、
直房の母仙壽院の墓。
初代直房は立藩後僅か4年で病死しており、
盛岡藩による暗殺が噂されています。
2代直政は将軍徳川綱吉の側用人を務め、
譜代大名並の扱いを受けていましたが、
39歳で突然死去してしまった為、
暗殺の噂が再びささやかれました。
8代信眞は6代南部信依の三男で、
困窮する財政の再建に野村軍記を登用。
領民に厳しい取り立てを行っており、
財政は改善されますが一揆が発生し、
野村は失脚するに至っています。
また江戸湾の沿岸警備の功績により、
八戸南部家は城主格の家格を得ています。
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