奥の院墓地の上杉家霊廟から左に進み、
豊臣秀頼供養塔から上へ上がった場所。
比較的広いスペースに数基の墓碑があり、
そこにかつて井伊掃部頭の霊廟がありました。
「彦根藩井伊家墓所」。
最奥右寄りに霊屋があったようで、
現在は既に存在していませんが、
小さな跡碑が建てられています。
これは彦根藩2代藩主井伊直孝の霊屋で、
左側の五輪塔も直孝のもの。
残念ながら写真に写ってはいませんが、
更に左に8代井伊直定の五輪塔もありました。
手前に並ぶ五輪塔や宝篋印塔ですが、
これらについては不明。
2代直孝は初代井伊直政の次男。
兄井伊直継が直政の死後に家督を継ぎ、
彦根藩の2代藩主となっていましたが、
愚鈍で家中の統率が出来なかった為、
徳川家康の裁定で直政が家督を相続。
※直継は安中藩3万に分知。
本来であれば3代藩主に数えられるところ、
直継を2代藩主とは数えないのが通例で、
直孝が彦根藩2代藩主となっています。
以後直孝は幕閣として活躍し、
譜代大名中で最高の30万石を与えられ、
徳川秀忠、徳川家光より絶大な信任を得て、
宿老として初期の幕政を支えました。
万治2年(1659)、死去。
8代家定は4代井伊直興の十四男で、
新田藩の藩主となっていましたが、
兄の7代井伊直惟の要請を受け、
新田領変換のうえで養嫡子となり、
直惟の隠居に伴い家督を相続しています。
質素倹約に努めた19年の治世の後、
宝暦4年(1754)に病気を理由に隠居。
直惟の子井伊直禔に家督を譲りますが、
直禔は同年に急病により死亡してしまい、
やむなく再び藩主に就任。
翌年に直禔の弟井伊直幸に家督を譲り、
宝暦10年(1760)に死去しました。
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