京都府京都市 薩摩藩伏見藩邸跡

京都伏見区にあった薩摩藩伏見藩邸。
幕府は原則的に諸大名の上洛を禁止した為、
西国大名達は伏見から京都へは行かず、
大津街道を通って東海道に入りました。
この為に伏見には参勤交代で大名が集まり、
西国大藩は藩邸を設けて宿所としています。
薩摩藩も例外ではなく寛文10年(1670)までに、
伏見藩邸(伏見屋敷)を設けており、
薩摩と江戸を往復する際の宿所としました。


「下板橋」。
伏見城の外濠であった濠川に架かる下板橋。
江戸時代初期に掛けられたようで、
その西側の通りは下板橋町と呼ばれました。
薩摩藩の大名行列はこの橋を渡り、
藩邸に入っていったようです。


「薩摩島津伏見屋敷跡」碑。
現在の松山酒造㈱のある場所が藩邸跡。
その敷地面積は約4,973㎡とされており、
南北約99m、東西約64mに広がっていました。
薩摩藩が随行する琉球使節の江戸上りでは、
琉球使節団の宿所にもなっており、
嘉永6年9月には篤姫が輿入れの道中で滞在し、
洛中の近衛家や宇治の萬福寺を訪問。
慶応2年1月23日の寺田屋事件では、
坂本龍馬が寺田屋から負傷しつつも脱出し、
留守居役大山彦八に匿われています。
藩邸は慶応4年の鳥羽伏見の戦いの際、
戦火で焼失してその役目を終えました。

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