大分県竹田市 岡藩中川家墓所

岡藩初代藩主中川秀成は、
稲葉川対岸に御茶屋を建設しますが、
その完成を待たずに死去してしまいます。
跡を継いだ2代藩主中川久盛は、
建設中の御茶屋を菩提寺へと改め、
碧雲寺を建立しました。

以後、久盛以後の歴代藩主の墓所となり、
碧雲寺は岡藩の庇護を受けて繁栄します。


岡藩主おたまや公園」。
現在の中川家墓所は、
碧雲寺庭園と共に公園化され、
市が管理運営しています。


龍吟池と呼ばれる池を配し、
2本の石橋が架けられた回遊式庭園で、
季節には綺麗な花を咲かせるようです。
残念ながら冬ですので寂しい感じでした。


碧雲寺殿円翁宗鑑大居士」。
初代藩主中川秀成の墓。
秀成は織田信長家臣中川清秀の次男で、
清秀が賤ヶ岳の戦いで討死した為、
兄の中川秀政が跡を継ぎますが、
秀政が文禄の役の鷹狩で殺されてしまい、
その失態を咎められますが、
父清秀の武功に免じて許され、
遺領の半分である6万6000石を相続。
関ヶ原の戦いの一環の佐賀関の戦いでは、
東軍として臼杵城主太田一吉と戦い、
家臣に多くの犠牲を出しますが、
功績を認められて所領が安堵されています。


従三位中川久昭之墓(右)」、
正四位伯爵中川久成墓(左)」。
幕末の藩主12代中川久昭と、
最後の藩主13代中川久成の墓。
元々は東京の青山霊園にあったもので、
平成21年に改葬されています。

12代藩主中川久昭は、
津藩10代藤堂高兌の次男で、
11代中川久教の婿養子となりました。
※ちなみに久教は井伊直弼の実兄。
藩内の尊皇攘夷派を排除して、
動乱期を傍観する立場を取っています。
13代藩主中川久成は久昭の跡を継ぎ、
廃藩置県後は東京へ移住。
後に貴族院議員となりました。

訪問時は夕方で17時閉園との事で、
急いで写真を撮った感じになりました。
後で調べたら11代藩主中川久教は、
井伊直弼の実兄だと知り、
写真を取らなかった事を後悔・・・。
まあ直弼の兄弟は十五男五女だったし・・。

3、7、8、10代の藩主墓所ですが、
3代久清は遺言により大船山
8代久貞は遺言により小富士山
7代久慶、10代久貴は、
東京愛宕の青松寺に埋葬されましたが、
こちらに改葬されています。

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