[北陸地方]」カテゴリーアーカイブ

福井県敦賀市 武田耕雲斎等ゆかりの地

来迎寺境内で行われた処刑は凄惨を極め、
三間四方の穴を5ヶ所掘って、
斬首した死体を放り込み、
土を盛って13基の墓が建てられています。
その血は近くの川を赤く染めたという。

幹部の首級は塩漬けにされた後、
故郷の水戸へ送られており、
3日間水戸城下を引き回された後に、
那珂湊にて晒されて野捨続きを読む

福井県敦賀市 幕府による天狗党の処罰地

相良藩主田沼意尊天狗党と戦い、
何度も天狗党に煮湯を飲まされており、
また関東の惨状も見ています。

田沼は天狗党を厚遇してる事に激怒し、
天狗党が引き渡されると鰊倉に押し込めて、
彼らの衣服を剥いで手枷足枷をはめ、
一日に握飯一つと湯水一杯のみを与えます。

狭い鰊倉に大人数が押し込められて、
魚の腐臭と汚物の臭いが混じる中、
冬の寒さも相まって悲惨な状態でした。

松原神社続きを読む

福井県敦賀市 天狗党幽居の三寺

新保宿加賀藩に投降した天狗党
投降者は823名。
首領の武田耕雲斎は抗戦派を抑え、
潔く投降するように諭しました。

加賀藩は投降者823名を三寺に収容。
辛苦の行軍と尊攘の志に礼を尽くし、
彼らを憂国の志士として厚遇。
加賀藩は三寺に天狗党の厚遇を指示し、
投降者は3つに分けられて収容されます。


長遠寺」。
天狗党が収容された三寺のうちのひとつで、… 続きを読む

福井県敦賀市 新保宿

尊皇攘夷を掲げた藤田小四郎らは、
挙兵して横浜港鎖港を要求してますが、
事態は内乱へと発展します。
那珂湊の戦いで敗北した為に、
武田耕雲斎を首領に置いて体制を整え、
一橋慶喜を頼って志を訴えようと、
中山道を通って京を目指しました。

追討軍と戦いながら風雪厳しい道を進み、
40日約1000kmの行軍の末に、
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福井県敦賀市 敦賀陣屋跡

敦賀藩小浜藩の支藩で、
小浜藩2代藩主酒井忠直の死後、
長男の酒井忠隆が家督を継ぎますが、
次男の酒井忠稠にも1万石が分与され、
立藩した藩でした。

敦賀といえば戦国大名朝倉義景の領地で、
豊臣時代には大谷吉継が治めており、
有力大名の治める藩と思われがちですが、… 続きを読む

富山県黒部市 黒部川扇状地湧水群

富山県黒部市の生地地区には、
名水百選黒部川扇状地湧水群があり、
水がとっても美味しいらしい。
ファスナーのYKKの大規模な工場もあり、
世界中のファスナーがここで作られています。


生地の清水」。
黒部には湧水を飲める所が沢山あります。
訪問時は日差しが強かったのせいか、
飲んでみるとたしかに美味しい。
生地の名水の源となる黒部川は、
黒部奥山の鷲羽岳がその水源。… 続きを読む

富山県黒部市 生地台場跡

仕事で黒部市へ。
黒部といえば黒部ダムが連想されますが、
黒部ダムは黒部市からは行けないらしく、
富山市長野市から乗り継ぐらしいです。
そもそも黒部ダムは黒部市ではありません。

それはブログの趣旨から外れていますので、
今回は黒部市にある加賀藩の生地台場跡に、
足を運んでみました。

黒部市生地地区周辺(生地台場の場所)

あいのとやま鉄道[… 続きを読む