島津宗家初~5代当主の墓所は、
出水市感応寺境内にありますが、
鹿児島市清水町にもあります。
「本立寺跡」。
嘉禄3年(1227)に初代島津忠久が死去。
野田の感応寺に忠久の墓所を建て、
ここに廟を建立したとのこと。
その後は5代まで同様だったようで、
5つの廟が建てられており、
五道院と呼ばれていましたが、… 続きを読む
鹿児島県鹿児島市 本立寺跡/島津五代墓所
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島津宗家初~5代当主の墓所は、
出水市感応寺境内にありますが、
鹿児島市清水町にもあります。
「本立寺跡」。
嘉禄3年(1227)に初代島津忠久が死去。
野田の感応寺に忠久の墓所を建て、
ここに廟を建立したとのこと。
その後は5代まで同様だったようで、
5つの廟が建てられており、
五道院と呼ばれていましたが、… 続きを読む
島津宗家10代島津立久の墓祠が、
日置市東市来の龍雲寺跡にあります。
「龍雲寺跡」。
立久は市来城を落城させた後、
この龍雲寺を創建して自らの菩提寺とし、
寺領を与えてこれを庇護。
曹洞宗薩摩三ヶ寺のひとつに称され、
江戸期を通じて隆盛しました。… 続きを読む
日置島津家2代当主島津忠隣の墓は、
日置の桂山寺跡にあります。
桂山寺は元々霊徳寺という寺でしたが、
3代当主島津常久が父の菩提寺とし、
父の法名から桂山寺に改称。
現在は廃仏毀釈で廃寺となっており、
忠隣の墓が残されています。
「桂山寺跡… 続きを読む
日置島津家2代当主島津常久の墓が、
光禅寺跡にあるらしいとの事で、
降り続く雨の中を訪問しました。
「光禅寺跡」。
日置島津家初代島津歳久の正室悦窓院は、
慶長7年(1602)に瑞岳和尚を開山とし、
光禅寺を創建しました。
現在は御多分に漏れず… 続きを読む