立石宿は日向街道の宿場で、
立石木下家の陣屋町でもありました。
日出藩初代藩主木下延俊は、
臨終の際に三男木下俊治に家督を継がせ、
四男木下延由に1万石の分知するよう遺言。
この遺命に従って俊治は弟延由に、
立石周辺5000石を内部分地しています。… 続きを読む
大分県杵築市 立石宿跡
コメントを残す
立石宿は日向街道の宿場で、
立石木下家の陣屋町でもありました。
日出藩初代藩主木下延俊は、
臨終の際に三男木下俊治に家督を継がせ、
四男木下延由に1万石の分知するよう遺言。
この遺命に従って俊治は弟延由に、
立石周辺5000石を内部分地しています。… 続きを読む
宇佐宿は日向街道の宿場で、
宇佐八幡宮の門前町に置かれていました。
※現宇佐神宮。
宇佐神宮周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが門前宿場町。
「勅使街道」。
京都から宇佐宮へ参向する… 続きを読む
日出宿は日向街道の宿場で、
日出藩の城下町に置かれていました。
難所を越えた旅人が体を休め、
難所を迎える旅人が準備をしたようです。
速見郡日出町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが日出宿跡。
「日出宿跡」。
日出町の武家屋敷群は良好に保存され、
観光名所となっていますが、
街道沿いの家々は更新されています。
しかしながら商家跡も散見され、
主要道路も北側の国道10号線の為、… 続きを読む
豊前四日市は東西本願寺別院が隣接し、
門前町として栄えた場所で、
日向街道の宿場町、天領陣屋町でもあり、
非常に賑やかであったという。
四日市周辺。緑の線が日向街道で、
青でぼかした辺りが門前宿場町。
江戸時代中期に真勝寺騒動が起こり、
東本願寺末寺の… 続きを読む
中津宿は中津街道の終点であり、
日田中津往還、日向街道の始点。
また中津藩10万石のお膝元であり、
商人の出入りも多く賑やかであったという。
中津城下周辺。緑の線が中津街道、
青い線が日田中津往還で、
ピンクの線が日向街道です。
青でぼかした辺りが宿場跡。
「小倉口」。
中津城下外堀西南隅の入口で、… 続きを読む