壽永寺には山本尚徳の墓もあります。
国島六左衛門の墓よりも更に山上にあり、
こちらも住職さんに案内頂きました。
「大洲藩故大参事源朝臣山本尚徳奥城」。
山本尚徳は重臣山本加兵衛家に生まれ、
馬廻役、明倫堂司誌、郡奉行… 続きを読む
愛媛県大洲市 壽永寺/山本尚徳墓所
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壽永寺には山本尚徳の墓もあります。
国島六左衛門の墓よりも更に山上にあり、
こちらも住職さんに案内頂きました。
「大洲藩故大参事源朝臣山本尚徳奥城」。
山本尚徳は重臣山本加兵衛家に生まれ、
馬廻役、明倫堂司誌、郡奉行… 続きを読む
四日市市西大鐘町の県道9号線沿いに、
※員弁四日市線。
忠衛門碑という慰霊碑が建っています。
この辺りは忍藩の飛地だったとのこと。
「忠衛門碑」。
世直し一揆が盛んだった慶応年間。
相次ぐ不作に西大鎮村の村役野呂忠衛門は、
忍藩の代官所に年貢免除を嘆願し、… 続きを読む
浮石村は長府藩の筆頭家老である椙杜家領。
宝永5年(1708)の旱魃で被害を受け、
村民は減祖を役人に願い出ますが、
聞き入れられずに困窮に喘いでいました。
その翌年は天候に恵まれて豊作となり、
村民が喜んだのも束の間で、
役人は逆に年貢二割増を命じます。
村民はたまりかねて一揆を計画しますが、
庄屋らがこれをなだめて善後策を検討。
江戸… 続きを読む
幕末とは全く関係はありませんが、
江戸時代の幕府と藩の関係性や、
年貢徴収方法などを知るうえで、
大変わかりやすい「浮石義民の直訴事件」。
椙杜家は長府藩の筆頭家老だった家系で、
豊田町周辺3100石を領地としていますが、
宝永5年(1708)の旱魃の被害を受けて、
領内は4割程度の収穫となってしまいます。… 続きを読む