玖島城下の武家屋敷通りのひとつ、
上小路に斎藤道場跡があります。
「斎藤道場(微神堂)跡」。
大村藩に招かれた剣術指南役斎藤歓之助は、
道場を開いて「微神堂」と名付けました。
藩が神道無念流… 続きを読む
玖島城下の武家屋敷通りのひとつ、
上小路に斎藤道場跡があります。
「斎藤道場(微神堂)跡」。
大村藩に招かれた剣術指南役斎藤歓之助は、
道場を開いて「微神堂」と名付けました。
藩が神道無念流… 続きを読む
江戸城、靖国神社と巡ったあと、
今度は新撰組ゆかりの地に行ってみました。
試衛館は天然理心流三代目近藤周助が開き、
大棟梁甲良家の市谷甲良屋敷にありました。
市谷甲良屋敷は区画の名称のようなもので、
名前の様なお屋敷ではなかったようです。… 続きを読む
田安門を出て靖国神社へ。
靖国神社はかつて戦場へ赴いた兵士達や、
戦死者の遺族の心のよりどころであり、
また左翼の攻撃対象でもあるこの神社には、
246万6532柱の祭神を祀っています。
国事に殉じた人々を慰霊する趣旨の神社で、
それ自体はとても素晴らしい事なのですが、
その定義が非常に難しく、
選に漏れた故人の関係者からの不満や、
選ばれた故人に対する評価により、
非難が出てくるのは致し方ない事でしょう。
批判を承知であえて例えるならば、
スポーツ等の代表の人選を非難するのと、… 続きを読む
幕末三剣士(天保三剣士)の一人大石進は、
柳河藩藩士大石太郎兵衛の長男に生まれ、
新陰流剣術、大島流槍術剣槍術を学びます。
大石家は祖父代より柳河藩剣槍術師範役及び、
三池藩立花家の剣槍術師範役を務め、
それ故に交際費で苦しい生活を強いられ、
進は田畑を耕して家計を補っていたという。
吊るした鞠を竹刀で突いて突き技を磨き、… 続きを読む
幕末(天保)の三剣士といえば、
男谷精一郎、島田虎之助、大石進の三人。
※天保の三剣士とも呼ばれます。
この中の一人である島田虎之助が、
下関の横野で道場を開いていた事は、
あまり知られていません。
中津藩士島田市郎右衛門の末子に生まれ、
人吉藩士宮原兵衛之助の養子となりますが、… 続きを読む