清泰院は岡山市南区にある禅宗の寺院。
他の宗派には属さない単立の寺院で、
鳥取藩池田家初代池田忠継及び、
2代池田忠雄の墓があります。
「本堂」。
慶長14年(1609)に池田利隆が建立、
※利隆は忠継や忠雄の兄で宗家2代。
始めは… 続きを読む
岡山県岡山市 清泰院/鳥取藩池田家墓所
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清泰院は岡山市南区にある禅宗の寺院。
他の宗派には属さない単立の寺院で、
鳥取藩池田家初代池田忠継及び、
2代池田忠雄の墓があります。
「本堂」。
慶長14年(1609)に池田利隆が建立、
※利隆は忠継や忠雄の兄で宗家2代。
始めは… 続きを読む
6万8千石を領した山崎藩池田家は、
家臣らの対立による御家騒動で改易。
藩主池田輝澄は本家の鳥取藩預かりとなり、
堪忍領として鹿野1万石が与えられました。
輝澄は徳川家康の外孫であった為、
その死後に四男池田政直… 続きを読む
文久3年8月17日。
河田佐久馬ら鳥取藩の尊攘派22名は、
藩論を尊皇攘夷へ移行させようとし、
京都駐屯の鳥取藩の本陣本圀寺で、
佐幕派藩士黒部権之介、高津省己、
早川卓之丞、加藤十次郎の4名を襲撃。
偶然にも非番であった加藤を除き、
黒部、高津、早川、早川の従者の4名が、
鳥取藩の支藩鳥取西館新田藩は、
鳥取藩が自領で開墾して増やした新田を、
鳥取藩2代藩主池田綱清が、
弟の池田清定(初代光仲の四男)に分知し、
幕府に認められて立藩した藩です。
もうひとつの支藩鳥取東館新田藩と同様に、
鳥取藩の蔵米を支給される形式で、… 続きを読む
鳥取藩の支藩鳥取東館新田藩は、
鳥取藩が自領で開墾して増やした新田を、
初代藩主池田光仲の二男池田仲澄へ分知し、
幕府に認められて立藩した藩です。
特定の領地はなく鳥取藩の蔵米を支給され、
藩政と呼べるようなものはありません。
分家を諸侯に列させる方便のような藩で、… 続きを読む
鳥取藩は因幡、伯耆2国を領有した大藩。
藩主家の池田家は外様大名ですが、
幕府より準親藩の扱いを受けました。
織田信長の重臣池田恒興は、
小牧長久手の戦いで羽柴秀吉に味方しますが、… 続きを読む