松江藩」タグアーカイブ

島根県松江市 法眼寺

法眼寺は松江市外中原町の曹洞宗寺院。
元々は松江城の建つ亀田山に所在し、
松江城の築城に伴い大橋川畔に移転。
その後の大火で伽羅を焼失し、
現在地に再移転しています。

この法眼寺の山門手前には、
大橋茂右衛門家の墓所があります。

大橋茂右衛門家墓」。… 続きを読む

島根県松江市 松江城(再訪)②

/②
つづき。

二之丸は西側半分が少し高くなっており、
御殿に連結する御書院があったようです。

西南の役の碑」。
8代島根県知事籠手田安定が、
浄財を募って建立した碑で、
西南戦争と県民の関わりを記したもの。
籠手田は元平戸藩士続きを読む

島根県松江市 松江城(再訪)①

①/

松江城に行ったのは8年前。
その記事も相当古いものですので、
今回機会がありましたので再訪しました。

関ヶ原の戦いの功により堀尾忠氏が、
隠岐及び出雲24万石を与えられ、
出雲守護職の居城月山富田城に入城。
しかし月山富田城は山城であり、
藩経営には不向きであった為、… 続きを読む

東京都渋谷区 祥雲寺/広瀬藩松平家墓所

広瀬藩松平家松江藩越前松平家の支流。
松江藩初代松平直政の次男松平近栄が、
3万石を分与されて立藩しました。
近栄は高田藩御家騒動が起こった際、
姫路藩松平直矩と共に調停役を務め、
これが将軍徳川綱吉続きを読む

島根県松江市 月照寺/松江藩松平家墓所

松江藩は出雲国と隠岐国を領有した藩で、
堀尾忠氏関ヶ原前哨戦の功績を挙げ、
浜松12万石から出雲24万石に加増。
しかし次代堀尾忠晴で無嗣改易となり、
代わって京極忠高が入封してきますが、
こちらも無嗣改易となってしまい、
※後に甥の京極高知が龍野6万石で再興。
代わって結城秀康の三男松平直政が、… 続きを読む