豊臣秀吉の黄衣母衆であった一柳直末は、
各地を転戦して武功を挙げ、
田中吉政、中村一氏、堀尾吉晴、
山内一豊らと共に、
豊臣秀次の宿老に任命されていましたが、
小田原征伐の際に流れ弾を受けて戦死。
一柳家は弟の… 続きを読む
兵庫県小野市 小野陣屋跡
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豊臣秀吉の黄衣母衆であった一柳直末は、
各地を転戦して武功を挙げ、
田中吉政、中村一氏、堀尾吉晴、
山内一豊らと共に、
豊臣秀次の宿老に任命されていましたが、
小田原征伐の際に流れ弾を受けて戦死。
一柳家は弟の… 続きを読む
三草藩の藩主家は一色丹羽家。
丹羽家といえば丹羽長秀を連想しますが、
三草藩丹羽家は長秀の系譜とは全く別家。
戦国時代の当主であった丹羽氏次は、
長秀と同じく織田信長に仕えていましたが、
血縁関係はなく本姓も清和源氏で違います。
※長秀以前の系譜ははっきりしておらず、
二本松藩丹羽家は良岑氏の末裔を自称。 … 続きを読む
三上藩の藩主家である遠藤家は、
郡上2万7000石を領する郡上藩主でしたが、
5代藩主遠藤常久が7歳で死去してしまい、
継嗣無く無嫡断絶となっています。
しかし藩祖遠藤慶隆の功績が考慮され、
徳川綱吉の側室瑞春院の甥に家督を継がせ、… 続きを読む
織田信長は安土城を築城して拠点とし、
琵琶湖対岸に大溝城が築城されています。
これは明智光秀の縄張りとされ、
琵琶湖と内湖を巧みに取り込んだ水城で、
磯野員昌に与えられていましたが、
員昌は信長に背いて出奔した為、
信長の甥津田信澄に与えられてました。
本能寺の変で信長が光秀に討たれると、… 続きを読む