下関市上新地町 萩藩新地会所跡

高杉晋作功山寺で挙兵した後、
藩の出先機関である新地会所を襲いました。
その新地会所の跡碑と説明板が、
厳島神社の鳥居の横に設置されています。


萩藩新地会所址」。
神社の脇にある小さな石標と説明板からは、
その規模がイメージしづらいのですが、
碑のある場所を南東の角として、
下関上新地郵便局GSあたりまでの、
広い敷地だったんじゃないかと思われます。

ここを襲った晋作達クーデター軍ですが、
新地会所を取り囲んで空砲を鳴らすと、
取締役根来上総が抵抗なしに解錠しました。
根来上総のその後の藩内の立場から、
申し合わせていたという説もあります。

より近い「馬関越荷方役所」ではなく、
わざわざここを襲撃した理由は、
そういう事があったのではないか?
馬関越荷方役所であれば、
軍資金も豊富にあったはずです。

確かに白石邸に近かったということや、
占領後の防衛の点、長府より離れていた事、
後方を突かれる心配がない事など、
新地会所を選んだ理由はありますので、
もちろん断定はできませんが・・。

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力士隊について
 勝ち組になるはずが・・・。


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