彦島に竹の子島という小さな島があります。
吉田松陰の海防視察日記[廻浦紀略]では、
松陰がここに上陸して視察を行っており、
南風泊から小船で竹の子島に渡り、
壱之台、弐之台、六之台を巡視しました。
松陰は小船で渡りましたが、
現在は橋が架けられていますので、
車でそのまま上陸する事が出来ます。
※下関駅から直通のバスもあります。
橋から彦島と竹の子島を結ぶ海峡を見る。
素朴な漁村の雰囲気が素敵な風景。
左が彦島で右が竹の子島です。
奥の彦島側は獅子ノ瀬という岬で、
ここにも台場が建設されていましたが、
現在は立ち入れません。
竹の子島側の前田造船所と、
彦島側の南風泊漁港。
前田造船所は台場のあった前田で創業し、
竹の子島に本社を移した造船所。
南風泊漁港は全国的に有名なフグのメッカ。
「竹の小島金毘羅社」。
松陰が登った福浦金毘羅本宮の末社。
[廻浦紀略]には記載がありませんので、
たぶんここには詣でてないと思います。
六之台の台場があった台場之鼻灯台。
彦島昔ばなしの中に六之台の話があります。
攘夷戦の際に彦島に設置された台場の中で、
東側の山床鼻、弟子待、石ヶ原の台場は、
海峡を渡る外国船に砲撃しましたが、
西側の西山や竹の子島の台場は、
外国船から遠く砲撃する機会が無かった。
砲音に六之台の兵達がやきもきしていると、
遠見役が大声をあげます。
「獅子ノ瀬に人が流されよるぞ~」。
びっくりした兵達は海に飛び込み、
浮かんでいる人を引き上げましたが、
その人は既に仏様になっていました。
この仏様は西洋人のようですが、
砲撃で死んだのかと思いきや、
体には外傷は全くなし。
とにかく毛唐といえど仏様。
このままほおっておくわけにいかないので、
台場の脇に埋めてユズの苗木を植えました。
ところが戦闘が終了した講和の際、
蘭国水兵が行方不明になったというので、
話がこじれているとの噂が流れます。
これはマズイと六之台の連中は、
「今後、如何なることがあろうとも、
獅子ノ瀬の仏様については、
一切口外しない」と誓い、
血判までしたといわれています。
ホントかどうかわかりませんが、
そういう話が伝わっています。
この竹の小島で素晴らしいのが西側の海岸。
波に侵食された海岸線が、
素晴らしい景観を作り出しています。
遠浅の海は透き通っていてとても美しい。
向こうの島は六連島と馬島です。
この景観は観光スポットになっても、
おかしくないでしょう。
・・・ですが。超ゴミだらけ。
海流の関係でしょうか?
漂流ゴミが無数に打ち上げられてて、
美しい景観を台無しにしてくれてます。
隣国からのゴミという人もいますが、
日本製品とわかるゴミも多数あります。
wikiにまでゴミが多いと書かれています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E3%83%8E%E5%AD%90%E5%B3%B6
下関市はこれを恥と考えて、
何らかの対策をとるべきでしょうね。
■関連記事■
・松陰の北浦巡視⑤
吉田松陰も竹の子島に上陸しています。
・彦島について①/②
竹の子島は彦島に付属している島。
・下関市彦島 巌流島
巌流島も彦島に付属している島。