五條代官所は大和国南部を支配した代官所。
天誅組の変で襲撃された場所でもあります。
「五條市役所(五條代官所跡)」。
五條代官所のあった場所は、
現在五條市役所となっています。
代官所は代官が行政を行う役所でしたが、
役人と下働きの中間がいる程度で、
軍事的には全く無防備の施設でした。
基本的に軍事は周辺の藩が担うもので、
当たり前といえは当たり前です。
「明治維新百五十年記念碑」、
「五條代官所跡」碑。
市役所前に設置された石碑。
天誅組は大和行幸の先鋒となるべく、
中山忠光を主将として堺に到着し、
狭山藩よりゲベール銃などの武器を調達し、
この五條代官所を襲撃。
代官鈴木源内ら数名を捕らえて首を刎ね、
代官所を焼き払いその首を晒しました。
※殺害されたのは代官鈴木源内以下、
長谷川岱助、黒澤儀助、木村祐次郎、
恒川庄二郎の5名。
天誅組は桜井寺を本陣として、
五條代官所支配領を天皇の直轄地とし、
その年の年貢を半減にすることを宣言。
・・が、
その翌日遅くに京都より一報が入り、
大和行幸が中止されたと知ります。
天誅組幹部は軍議を開き徹底抗戦を決定。
五條にいては追討の危険がある為に、
十津川方面へ向かいました。
天誅組に焼かれた五條代官所は、
西300m行った位置に再建されました。
奈良地方裁判所五條支部のある場所です。
「長屋門(五條市民俗資料館)」。
再建された代官所は五條県庁に引き継がれ、
警察大屯所を経て五條区裁判所となり、
現在に至っています。
その後の裁判所の建て替えの際に、
正門の長屋門を市が譲り受け、
五條市民族資料館として整備されました。
資料館内は天誅組の軌跡や年表、
グッズなどが並べられていますが、
天誅組は代官所の敵方なのですけど・・。
「明治維新発祥地」碑。
長屋門の前にある石碑。
明治維新の発祥地を名乗っていますが、
これは天誅組による挙兵が、
維新の魁の義挙であるということから。
確かに天狗党の乱、生野の変よりも早く、
挙兵としては発祥とも言えなくもない。
でもそれならば大塩平八郎の乱の方が早い。
発祥を名乗る碑は長府にもありますが、
これは功山寺挙兵が始まりという事から。
僕自身は何が発祥かなんて決められません。
ペリー来航かもしれませんし、
桜田門外の変かもしれませんし、
それこそ功山寺挙兵かもしれませんし、
実際に討幕に動いた薩長同盟かもしれない。
でもどこが発祥かなんて、
どうでも良い事かもしれませんよね。
■関連記事■
・下関市長府 維新発祥の地
長府に維新発祥之地碑があります。
・天誅組以前の中山忠光①
天誅組の変に参加するまでの中山忠光。
・愛知県刈谷市 十念寺/刈谷藩土井家墓所
藩主菩提寺に松本奎堂の墓があります。
・京都府京都市 京都霊山護國神社③
霊山護國神社にある天誅組の墓所。