熊本県山鹿市 山鹿宿跡②

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つづき。

さくら湯」を過ぎて国道325号向いの公園へ。


あし湯」。
湯の端公園にある足湯。
豪華な造りの東屋が建てられており、
底に小石が敷かれてツボを刺激します。
湯は少しぬるめでした。


国道を過ぎると街道筋は坂道になります。
写真左の洋風の建物は山鹿灯籠民芸館で、… 続きを読む

熊本県山鹿市 山鹿宿跡①

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山鹿宿は薩摩街道の宿場町。
※薩摩街道は豊前街道等の別名がありますが、
 当ブログでは薩摩街道に統一します。

古くから温泉町としても栄えていたようで、
平安時代の書物にもその記載があるという。
江戸時代に宿場町として整備されてからは、
更に隆盛して非常に賑わいを魅せていました。
細川忠利熊本藩続きを読む

熊本県山鹿市 江戸時代の民家

山鹿市立博物館敷地内にある民家跡
近隣の鍋田西にあった農家松永家の住宅で、
三棟造が特徴の茅葺屋根の民家。
西南戦争で被災した建物でもあり、
その柱には弾痕が残されています。


江戸時代の民家(三棟造)」。
天保11年(1840)に建てられたもので、
昭和54年に現在地に移築されました。… 続きを読む

熊本県山鹿市 西南の役戦歿者慰霊碑

山鹿市立博物館敷地内にある西南戦争の慰霊碑。
山鹿口の戦いは24日間の激戦が繰り返され、
両軍合わせて519名が戦死しています。
戦闘は山鹿市内全地域に及びますが、
博物館のある鍋田地区は特に激戦地だった場所。


西南の役戦歿者慰霊碑(右奥)」、
西南の役戦歿者記名碑(手前)」。
昭和56年に建立された両軍戦没者の慰霊碑と、
平成7年に建立された両軍戦没者の記名碑続きを読む

熊本県山鹿市 大坪橋

山鹿市立博物館敷地内にある大坪橋
これは山鹿手永の惣庄屋福田春蔵が、
幕末の慶応元年頃に吉田川に架橋したもの。
大坪橋は人が渡るだけの橋ではなく、
水の無い土地に水を引く為の用水橋でした。


大坪橋」。
見事な二連アーチ式の石橋(眼鏡橋)。… 続きを読む

熊本県山鹿市 帆足長秋・京先生像

山鹿市鍋田にある「山鹿市立博物館」。
県内で2番目に開館した古い博物館で、
考古学の資料を展示しているとのこと。
このブログの範囲から外れてはいますが、
館の周辺には興味深いものが沢山あります。


山鹿市立博物館」。
市内を中心とした菊池川流域の考古資料や、
歴史資料民俗資料を中心に、… 続きを読む

熊本県玉名郡 腹切坂

薩摩街道の難所である腹切坂
腹切という不穏な名称のこの坂は、
人を殺して諸国を逃げ回っていた武士が、
所詮逃げられぬと悟って腹を切ったとか、
平家の落ち武者が逃亡を断念して、
腹を切った場所であるとか、
大事な書状を持った飛脚が坂を上り、
坂の中間ですれ違った農夫に、
坂はあとどれくらいかと尋ねた際、
あなたがこれまで歩いて来た程」と聞き、… 続きを読む