奥の院墓地にある中村藩相馬家の墓所。
鎌倉御家人千葉常胤の二男相馬師常は、
文治5年(1189)の奥州合戦で戦功を挙げ、
源頼朝より陸奥国行方郡を拝領。
後に5代相馬重胤が移住して本拠とし、
以降… 続きを読む
高野山奥の院墓地/中村藩相馬家墓所
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奥の院墓地にある中村藩相馬家の墓所。
鎌倉御家人千葉常胤の二男相馬師常は、
文治5年(1189)の奥州合戦で戦功を挙げ、
源頼朝より陸奥国行方郡を拝領。
後に5代相馬重胤が移住して本拠とし、
以降… 続きを読む
奥の院墓地にある村上藩内藤家の墓所。
村上藩内藤家は内藤信成を家祖とし、
伊豆韮山に1万石を与えられて大名となり、
後に4万石の加増を受けて駿府に転封し、
更に長浜に移されています。
2代内藤信正… 続きを読む
奥の院墓地にある磐城平藩安藤家の墓所。
標柱は[上州高崎安藤家墓所」となってますが、
高崎藩から備中松山藩、加納藩を経て、
最終的に磐城平藩の藩主家となっている為、
このブログでは磐城平藩安藤家のとします。
正面を向いた3基は、
「良峯院殿前京兆〇譽泰翁大居士… 続きを読む
奥の院墓地にある高遠内藤家の墓所。
高遠内藤家は岡崎譜代の家系で、
初代当主内藤清成は徳川秀忠の傅役を務め、
後に関東総奉行も務めています。
高遠藩には6代内藤清枚から入封しており、… 続きを読む
奥の院墓地にある松平忠国の墓所。
忠国は明石藩の藩主ではありますが、
幕末まで続いた明石(越前)松平家ではなく、
かつての明石藩主であった藤井松平宗家です。
慶安2年~延宝7年(1649-1679)まで明石藩で、
以後は郡山藩を経て古河藩へと転封し、
上山藩… 続きを読む
奥の院墓地にある明智光秀の墓所。
明智光秀は本能寺の変で織田信長を討ち、
羽柴(豊臣)秀吉に討たれた人物です。
山崎の戦いで敗れた光秀家臣津田重久が、
追手から逃れて高野山に逃げ込んだ際、
主君である光秀の追善供養… 続きを読む
奥の院墓地にある石田三成の墓所。
三成は天正18年(1590)30歳の時に、
奥の院に逆修塔を建立しています。
「宗應 逆修」。
石田三成の逆修塔。
逆修塔は自分の死後の冥福や,
往生を祈る為に自ら建てる供養塔。
三成は徳川幕府からは逆賊であり、… 続きを読む