高杉晋作像のある日和山公園に、
「つかずの灯篭」と呼ばれるいわくつきの石灯篭があります。
日和山公園の「つかずの灯篭」。
「つかずの灯篭」といえば、
香川県の直島にある林の浜の「灯つかずの石灯籠」があり、
石灯篭を作った石工が、その工賃を払ってもらえず(または博打で取られた)、
工賃が無ければ石灯篭の材料代が払えず、
帰るに帰られず、身投げして死んでしまいます。
それ以来、石灯籠に何度火をつけても消えてしまう。
そういう話があります。
日和山にある「つかずの灯篭」も、それに似た話が伝わってます。
元々は壇之浦に灯台として設置されていたもので、
(※松陰の「廻浦紀略」に壇ノ浦にあった当時の事が記されています)
長府報国隊が奇兵隊の桜山神魂場にならって、
豊町(貴船町)の旭山に招魂場を造ることになり、
そこに灯篭を設置になったので、隊士が灯篭を運ぶ事になりました。
隊士達は皆、酒を飲みながらいい気分で運んでいたので、
灯篭を乗せた大八車を、途中の道沿いにあった料亭「吉信」の、
格子戸にぶつけて壊してしまいました。
「吉信」の主人は怒って、隊士達に文句を言いましたが、
返り討ちにあって斬り殺されてしまいます。
主人は死に際に「その灯篭の火を消してやる・・・」と、
恨みの言葉を遺して死んでしまいました。
灯籠は長府報国隊の招魂場に無事に設置されましたが、
この灯篭にいくら火をつけてもすぐに消えてしまいます。
隊士達は恐ろしくなり、この灯篭を「つかずの灯篭」と呼んで、
二度と火を灯さないようにしました。
その後、長府報国隊の招魂場が、桜山招魂場にまとめられることになり、
「つかずの灯篭」も桜山に移されました。
昭和11年に、高杉晋作の銅像が日和山に建てられることになり、
桜山招魂場からこの日和山に移され、現在の場所に設置されました。
・・と、まあこういう逸話が残っていたんですが、
高杉晋作の銅像の落成式では、この灯篭を点灯させることになり、
何の不都合もなく、煌々とあたりを照らしていたようです。
当時の日和山公園。「つかずの灯篭」も見えますね。
70年ほど経って、「吉信」の主人の怒りが静まったのでしょうか?
それとも報国隊ではなく、高杉晋作の銅像の落成式だから、
火を灯してくれたんでしょうか?
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