香川県丸亀市 丸亀城②

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つづき。

見返り坂から坂虎口を登って三の丸跡へ。

三の丸跡」。
三の丸は二の丸の周囲を囲む平場の曲輪。
藩政当時は月見櫓坤櫓戌亥櫓の3棟が建てられいました。


勤王碑」。
三の丸跡に建つ石碑。
丸亀出身の土肥大作村岡宗四郎の贈位を記念し、
大正十二年に建立されたもの。
土肥大作は藩校正明館昌平黌で学び、
脱藩して尊皇攘夷運動を展開。
慶應元年に藩によって投獄されますが、
藩の新政府恭順によって許され、
丸亀藩権大参事等を務めて藩政改革を行いました。
廃藩置県後は民部省大蔵省に出仕。
飾磨県参事を経て新治県参事となりますが、
在任中の常陸土浦で自刃しています。

村岡宗四郎は藩の銀札管理を任された村岡家に生まれ、
叔父の小橋保蔵に皇典や漢学を学び、
母の村岡筆子と共に尊攘志士を匿った他、
蔵に兵器弾薬を隠していたという。
天誅組の変が起こると小橋らと共に参加しようとしますが、
これが露見して捕らえられてしまいました。
慶応3年正月に釈放されてますが、
獄中で衰弱して間もなく死去しています。
でもこの碑の文字はあまり上手ではないなぁ・・。


延寿閣別館」。
丸亀藩の江戸藩邸の一部を移築したもので、
元々は城下にあった6代京極高朗の隠居屋敷を、
三の丸跡に移築した際に、同時に移築された別館。
本館である隠居屋敷「延寿閣」は老築化で解体され、
現在は藩邸の一部であった別館のみが残されています。


二の丸跡」。
二の丸跡には桜が植樹されています。
写真を撮り忘れましたが、ここには井戸が残っており、
日本一の深さを誇っているという。

さらに登って本丸跡へ。

本丸跡」。
亀山頂上の本丸跡。
かつては4棟の隅櫓が四方に建てられ、
天守を囲んでいたようです。


天守」。
独立式層塔型3重3階の現存天守
12棟の現存天守の中で最も小さい天守です。
※高さは弘前城天守が10cm低い。
丸亀城は日本一高い石垣を持ち、
日本一小さな現存天守を持つ城という訳ですが、
よくもまあ今まで落雷の被害を受けなかったものです。

名君とされた6代藩主京極高朗は、
丸亀湊の整備やうちわ作りの奨励を行った他、
士民の風紀を正す藩法を整備。
全国よりこんぴら詣に訪れる名士も多く、
藩士や領民に勤皇家が多かったようで、
田岡凌雲、土肥大作などの尊攘藩士も輩出しました。

また、丸亀藩は失脚した鳥居燿蔵を預かっており、
※鳥居は水野忠邦の側近として恐れられていた。
鳥居は城下の御番屋敷に幽閉され、
屋敷の周囲は青竹の矢来が張られていたという。
自殺を防ぐ為に昼夜交替で監視が行われていましたが、
学識豊富な鳥居に教えを乞う藩士も多く、
天保の改革では妖怪と恐れられた鳥居は
丸亀では別人のように尊敬され感謝されています。
※鳥居は維新後の恩赦で解放され、
 郷里の駿府へ帰って明治7年に死去。


7代藩主京極朗徹は幕府の指示に従い、
江戸警備長州征伐に兵を派遣していますが、
新政府樹立後はいち早く支持を表明し、
朝敵となった高松藩追討に出兵。
高松藩から新政府へ恭順の仲介を依頼されて、
新政府へ取り次ぎ、周旋を行っています。

今回の四国旅行のラストを飾るにふさわしい丸亀城。
見事な高石垣に圧巻となりました。
これにて四国の現存天守は制覇。
残るは愛知の犬山城のみです。

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丸亀藩
藩庁:丸亀城
藩主家:高次流京極宗家
分類:5万1000石、外様大名

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