①/②
つづき。
見返り坂から坂虎口を登って三の丸跡へ。
「三の丸跡」。
三の丸は二の丸の周囲を囲む平場の曲輪。
藩政当時は月見櫓、坤櫓、戌亥櫓の3棟が、
ここに建てられていました。
「勤王碑」。
三の丸跡に建つ石碑。
土肥大作と村岡宗四郎の贈位を記念し、
大正十二年に建立されたもの。
土肥大作は藩校正明館や昌平黌で学び、
脱藩して尊皇攘夷運動を展開。
慶應元年に藩によって投獄されますが、
藩の新政府恭順によって許され、
丸亀藩権大参事を務めて藩政改革を行いました。
廃藩置県後は民部省や大蔵省に出仕。
飾磨県参事を経て新治県参事となりますが、
在任中の常陸土浦で自刃しています。
村岡宗四郎は豪商村岡家に生まれ、
叔父の小橋保蔵に皇典や漢学を学び、
母の村岡筆子と共に尊攘志士を匿った他、
蔵に兵器弾薬を隠していたという。
天誅組の変には小橋らと参加しようとしますが、
これが露見して捕縛されて投獄。
慶応3年正月に釈放されてますが、
獄中で衰弱して間もなく死去しています。
この碑の文字はあまり上手ではないなぁ・・。
「延寿閣別館」。
丸亀藩の江戸藩邸の一部を移築したもので、
城下にあった6代京極高朗の隠居屋敷を、
三の丸跡に移築した際に同時に移された別館。
本館の隠居屋敷[延寿閣]は老築化で解体され、
現在は別館のみが残されています。
「二の丸跡」。
二の丸跡には桜が植樹されています。
写真を撮り忘れましたが、
ここには当時の井戸が残っており、
日本一の深さを誇っているという。
さらに登って本丸跡へ。
「本丸跡」。
亀山頂上の本丸跡。
かつては4棟の隅櫓が四方に建てられ、
天守を囲んでいたようです。
「天守」。
独立式層塔型3重3階の現存天守。
12棟の現存天守の中で最も小さい天守です。
※高さは弘前城天守が10cm低い。
丸亀城は日本一高い石垣を持ち、
日本一小さな現存天守を持つ城という訳ですが、
今まで落雷の被害を受けなかったものです。
名君とされた6代藩主京極高朗は、
丸亀湊の整備やうちわ作りの奨励を行った他、
士民の風紀を正す藩法を整備。
全国よりこんぴら詣に訪れる名士も多く、
藩士や領民に勤皇家が多かったようで、
田岡凌雲、土肥大作等も輩出しました。
また丸亀藩は失脚した鳥居燿蔵を預かっており、
※鳥居は水野忠邦の側近として恐れられていた。
鳥居は城下の御番屋敷に幽閉され、
屋敷の周囲は青竹の矢来が張られていたという。
昼夜交替で監視が行われていましたが、
学識豊富な鳥居に教えを乞う藩士も多く、
天保の改革では妖怪と恐れられた鳥居は
丸亀では別人のように尊敬されたとされます。
※鳥居は維新後の恩赦で解放され、
郷里の駿府へ帰って明治7年に死去。
7代藩主京極朗徹は幕府の指示に従い、
江戸警備や長州征伐に兵を派遣していますが、
新政府樹立後はいち早く支持を表明し、
朝敵となった高松藩追討に出兵。
高松藩から新政府へ恭順の仲介を依頼されて、
新政府へ取り次ぎ周旋を行っています。
四国旅行のラストを飾るにふさわしい丸亀城。
見事な高石垣に圧巻となりました。
これにて四国の現存天守は制覇。
残す現存天守は愛知の犬山城のみです。
①/②
【丸亀藩】
藩庁:丸亀城
藩主家:高次流京極宗家
分類:5万1000石、外様大名
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