今庄宿を出た天狗党は北陸道を進み、
その途中にある二ツ屋宿で昼食を取った後、
さらに雪深い街道を進んだという。
南越前町二ツ屋周辺(二ツ屋跡の場所)
今庄杉津線(県道207号線)の新道から、
南へ延びる脇道に入り、
二ツ屋谷川に沿った森林の中にあります。
「二ツ屋宿場跡」。
二ツ屋宿は近江から越前へ入る玄関口で、
最初の宿場町として関所が設けられました。
後の明治26年の大火で20数戸が焼失し、
明治29年に北陸線が開通した為、
全戸が移転して一棟も無くなっており、
現在は建物の基礎の石垣が残るのみです。
「明治天皇御座所」、
「御膳水問屋跡」。
明治11年10月9日に、
明治天皇は旧二ツ屋宿に行幸し、
問屋高野三喜太宅で昼食を取っています。
「二ツ屋関所跡」。
二ツ屋宿の南端には関所が置かれ、
福井藩士2名と足軽番士2名が常駐し、
旅人の往来を監視していましたが、
800余名の通行を阻止する事は出来ず、
そのまま通行させる他はありませんでした。
■北陸街道の宿場町
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