東京都文京区 護國寺/盛岡藩南部家墓所

護國寺墓地には維新の元勲らの墓の他、
盛岡藩南部家の墓所もありました。


正三位南部利剛墓(右)」、
同夫人南部明子墓(左)」。
盛岡藩14代藩主南部利剛の墓と、
その妻で徳川斉昭の娘松姫(明子)の墓。
父で12代藩主だった南部利済と、
兄で13代藩主の南部利義が対立し、
圧力で兄が隠居した事により家督を相続。
楢山佐渡東政図を登用していますが、
両者の対立で藩政は迷走しています。
楢山の意見で奥羽越列藩同盟に参加し、
久保田藩弘前藩と戦いました。
利剛は降伏後に隠居しており、
明治29年に死去しています。


従二位伯爵南部利恭墓(右)」、
伯爵南部利恭夫人喜久子墓(左)」。
盛岡藩15代南部利恭とその妻喜久子の墓。
戊辰戦争に敗れた先代南部利剛が隠居し、
白石13万石に減転封が命じられますが、
70万両の献納で盛岡藩復帰が認められ、
盛岡藩知事に就任しています。
しかし盛岡藩の財政は戦費で破綻しており、
藩知事辞任と廃藩置県を新政府に嘆願し、
全国に先駆けて盛岡県が設置されました。

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